samedi 9 janvier 2016

これからどのような智慧を求めていくのか



相変わらず、曇天が続いている

その持続力には見習うべきものがある

昨日の夕方、外に出て今年初めてプレスに入る

1月7日号のル・ポワンに興味深い特集が出ていた

自分に直接関係あるテーマだと感じたからである


sagesse を辞書で見ると、智慧とか英知とか思慮分別などと訳されている

どのように訳すにしても、その元には人類が目覚めた時に求めた知というイメージがある

古代ギリシャで哲学が生まれた時に求めたものという歴史が、この言葉に埋め込まれている

しかし、時を経るに従い、そのことは忘れられていく

特に、近代に入り科学が発展すると、智慧の探究との乖離が著しくなる

 ただ、最近、古代ギリシャが求めた智慧、より正確には智慧に至る姿勢に注目が集まっている

このような背景と表紙の三人が来週出す本を絡めた特集のようである

Christophe André (1956- )
Matthieu Ricard (1946- )
Alexandre Jollien (1975- )

Trois amis en quête de sagesse
(L'Iconoclaste / Allary éditions, 13 janvier 2016)



もう10年ほど前になる

わたしの場合には、世界を観てというよりは、自らの内的世界を観てこのことを感じたのである

科学の中に身を置いていたため、智慧との乖離が耐えがたいほど大きくなったのであろう

そこから始ったフランス生活は、科学と智慧の乖離を埋めるためのものであったとも言える

少なくとも、そこに向けた道を探るものであった


ロジェ・ポル・ドロワ(Roger-Pol Droit)さんの記事には、わたしが感じたそのことが書かれてあった

 理性は個人的生活に影響を与えることなく使われる

科学をやることによりその人間が道徳的に変わることは想定されていない

西洋は智慧をすっかり忘れてグローバリゼーションに走っている

技術者の時代には、智慧者は博物館行きに見えるのである


この事態がどうして21世紀に入り、変わって来たのか

ドロワさんは次のような理由を挙げている

一つは、西洋人によるアジアの思想の発見が進んでいること

二つには、特にピエール・アドーさんの仕事により、哲学の実存における役割の再発見がある

その他、生物が一体になっているという認識の出現、我々の活動と地球との相互依存関係など

このような中、忘れられていた意味、幸福、道の探究が智慧に向けての関心を呼び起こしている

ここで重要になるのは、充ちた内的生活が個人のレベルだけで得られるとは限らないことである

そこに社会、経済的な要素が絡んでくる

それらも含めた新しい智慧のあり方をどう求めていくのか

 それがこれからの課題になるだろう





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