mardi 29 septembre 2015

デジャヴューの夕焼け空



今週の天気予報は、連日太陽が出ることになっている

誰かさんの心境とは大違いだ

昨日、指導教授と最後の打ち合わせをした

論文の提出締切りが目の前である

まだ打ち合わせをやっているのか、という感じだ

学生に戻って日が浅いので致し方ない


その後、BNFに立ち寄った

その帰りのことである

包み込むような真っ赤な夕焼雲が南の空一面に広がっていた

このところ忘れることの多いカメラを探したが、やはり手元になかった

周りでは携帯やアイパッドなどで写真を撮っている人が多数


実はこの景色、デジャヴューであった

もう8年半も前になることにいつものように驚いているが、同じような夕焼け空を見たことがある

こちらに来ることを模索している時期のことであった


昨日の空は、その時以上に染まっていた

これが何を意味しているのか

それは分からない

しかし、こういう緊迫したタイミングでこの空は現れるのだ



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dimanche 4 octobre 2015

デジャヴューについて、一言

これまで、フランス語のdéjà-vuから自動的に「すでに見たもの・こと」として使ってきたように思う

勿論、心理学では実際には見ていないものについてそう感じることをいう

そのことが意識から消えることがある


思い違いと併せて、よくあることではあるのだが、、、





mardi 22 septembre 2015

フリーマン・ダイソンさんの大学観からサイファイ研の未来へ



最近、日本では国立大学の文系学部の廃止が話題になっていると聞く。激しい批判の矢面に立たされた文科省は、「廃止」という強い言葉を使ったのは真意では なかったという言い訳をしているようだが、方向性には変わりはないのだろう。すべての出来事には原因がある。このような状況になったのは、大学文系の方にも問題があるという指摘には一理ある。

科学から文系に入り最初に気付いたことは、誤解を恐れずに言えば、「こと」が日本国内のヒエラルキーの下に動いているように見え、論文も外国語で書かれることは少なく、学問が持っている普遍的な判断の下に自らを置いていないのではないかということであった。以前、哲学科の先生が自らの存在意義を問われ、答えに窮する場面を見たことがある。今のような状況では、それも当然なのではないかという思いも湧いてくる。

知性や教養に対する蔑視が言われて久しい。これも常に指摘されているが、テレビなども惨憺たる有様で、刺激に反応するだけの空間が展開していて、思考が誘発されることは稀である。なぜこのような状態になったのか。もう7年前になるが、参考になると思った一つの見方をウィキに見つけた。その主はイギリス生まれのアメリカ人理論物理学者フリーマン・ダイソンさん(1923- )で、イギリスの大学について次のような見方を表明している。
「ケンブリッジ大学に溢れる憂鬱な悲観論は、イギリスの階級制度の結果であるというのがわたしの見方である。イギリスにはこれまで二つの激しく対立する中流階級があった。一つはアカデミックな(大学人、学問を重視する)中流であり、他方はコマーシャルな(商業中心の)中流である。19世紀にはアカデミックな中流が権力と地位を勝ち得ていた。わたしはアカデミックな中流階級の子供として、コマーシャルな中流階級を嫌悪と軽蔑をもって見ることを覚えた。それからマーガレット・サッチャーが権力を得たが、これはコマーシャル中流階級の復讐でもあった。大学人はその力と威信を失い、商業人がその地位を奪い取った。大学人はサッチャーを決して許すことはなかったし、それ以来大学人は悲観的になったのである」
同様のことが日本でも起こり、大学が経済に敗れたと言えそうである。最早、その根は深いところまで張っている。大学法人化が行われようとした時、大学人の反応は極めて鈍かった。何かの出来事が起こった時、そこに忠実に向き合い、その本質を明らかにしようとして論じ合うという態度にわれわれは乏しい。これからはそのシステムで育った人間が多数を占めるようになる。そうなれば、さらなる先鋭化の道を選択する可能性もある。今回の動きも多くの人はそれほどの違和感を持たずに受け止めているのかもしれない。本来は自由人であるべき大学人が事務官のような頭の使い方しかできなくなっているとすれば、多くを期待できな いだろう。

ただ、人文知がなくなるわけではない。それはいつでも手に入るところにある。もし大学にその場がなくなるのであれば、われわれが自らやればよいだけの話である。サイファイ研の活動をそのような枠組みで捉えると、やりようによっては結構面白いものになるのではないか。そんな期待感が生まれてくる。





vendredi 18 septembre 2015

SHEとPAWLのお知らせ、そして虹が架かる



次回のサイファイ・カフェSHEとカフェフィロPAWLを夏以降に予定していました

しかし、主宰者の都合により年内の開催は難しくなりました

今のところ、来年3月初旬の開催を予定しています

また、今回から札幌においてもSHEを開くことにしました

詳細が決まり次第、この場に掲載する予定です

お近くの方に情報を拡散していただければ幸いです

ご理解、ご支援のほど、よろしくお願いいたします





夕方、雨が降り始め、少し日の光が差したところで虹が現れてくれた

久し振りに空全体を架ける虹となった

そのかそけき姿が何とも言えない

どこかに向けての希望の橋であることを願いたいものである





mardi 15 septembre 2015

パリから見えるこの世界(32) 国境の町リールで、「科学の形而上学化」について再考する



雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 『パリから見えるこの世界』 第32回エッセイを紹介いたします

« Un regard de Paris sur ce monde »


医学のあゆみ (2014.9.13) 250(11): 1063-1068, 2014

ご一読いただければ幸いです






lundi 14 septembre 2015

分かった時には終わっている



最近、やっとのことでその中に入ることができるようになってきた

もう終わらなければならない時が目前になってである

そこで見えてくるのは、やればやるほど欠けているものが現れるということだ

まさに、無間地獄であり、シーシュポスの苦しみである

そして、このようにやっておけばよかったのに、という思いが湧く

そのためにこちらに来たのではないので、どこか遠くのことのように感じ続けてきた

なかなか手を付ける気にならなかった

しかし、その時が来ると恨み節が出る


逆に言うと、こういう仕事はどうやればよいのかというコツが見えてきたことになる

先日の丸山健二氏の言葉ではないが、「コツを覚えた時にはすべて終わっている」には真理がある

これから先もあると思えば、シーシュポスのように岩を背負って坂を登らなければならないのだろうか

さらに深いコツが現れないとも限らないと思いながら





vendredi 11 septembre 2015

ミシェル・ガラブリュさんの老後



「老後も仕事を辞めることが許されない」という俳優のニュースが目に入った

ミシェル・ガラブリュ (Michel Galabru, 1922、モロッコ・サフィ生まれ)

もうすぐ93歳になるが、一昨日から年末までモンマルトル劇場で芝居に出ている

経済的な理由から立派なキャリアに終止符を打つことができない

俳優の時には収入の半分を税金に持っていかれた 

そして、定年後の収入が僅かだからだ


悩みは経済的なものだけではない

それは孤独である

 兄を若くして失い、昨年医者で作家だった弟のマルクさんを85歳で見送っている

そして最近奥さんを亡くし、絶望を味わった

夜一人でいると、耐えられない

神が善良ならば、それを示してほしい


今は100歳まで生きることは見えてこないという

92歳ということは、いつ死んでも良いということ

記者にこう問い掛けている

100歳の人たちがどんな状態でいるのか見たことがありますか

歩けもしないのなら、そこで止めた方がいいんじゃありませんか



ガラブリュさんが人生を語っているビデオが見つかった

お隣のヴァネッサ・パラディさんにも目が行ってしまうのだが、、








jeudi 10 septembre 2015

ヌアラ・オファオレインさんから 「哲学とは言葉の意味を体得することである」 へ



2008年、癌のために亡くなったアイルランドの作家がいる

ヌアラ・オファオレイン Nuala O'Faolain
(1er mars 1940 à Dublin - 9 mai 2008 à Dublin)

彼女は脳腫瘍とその転移の治療を拒否して、68歳で逝った

癌と最後まで戦ったスーザン・ソンタグSusan Sontag, 1933-2004)さんとは対照的である

 亡くなる前のインタビュー記事はこちらで、肉声はこちらから聞くことができる

注意を惹いたところを以下に少しだけ紹介したい


彼女はその6週間前まで幸せな生活を送っていたという

その時、右足に異常を感じニューヨークの病院で診断を受けた

その結果は、脳に2つの腫瘍があり、他にも広がっている転移性の癌であった

不治であると告げられた時、ショックと恐怖と治療のことが頭に浮かんだ

治療をどうするのか

治療で感じるだろう自らの無力さ、恐怖、その結果得られる生の質などを考え、治療を断念する


マンハッタンで手に入れたばかりの素晴らしいアパートも全く意味のないものになった

どんな芸術作品に触れても、それまで感じたマジックは消 え失せていた

死後の世界も神も最早信じることができない

すべてが全く意味のないものに変わっていた

辛いのは、この世界から拒絶されたような孤独感である

その彼女にとって人生で大切なもの、それは健康とreflectivenessだと答えている


これから先に大きな希望をもって生活していた時だったため、尚更絶望を強く感じたのだろう

人生で大切なものとして、彼女は健康とreflectivenessを挙げている

本質を突いた深い分析に見える

7年前のわたしは、reflectivenessを思慮深さとか熟考しようとすることと訳している

しかし、思慮深さとはどういうことを言うのか、熟考するとは何を言うのか

そのことを理解していたとは言い難い

その後の7年余りの生活で reflection という営みの意味を体得したと感じているからだ

その経験からreflectivenessを日本語に変換するとすれば、次のようになるだろう

第一に自らを振り返ること、そこから進んで自らを取り巻く世界について振り返ること

そのような状態であり、その状態を齎すことができる能力をも含めたい


それでは、振り返るという作業を何を言うのか

それは、一つのテーマについて自らの記憶、人類の記憶を動員して大きな繋がりを見つけ出すこと

そして、紡ぎ出し、テーマの周りに関連するものを大きな塊として作り出すことである

振り返るという作業、考えるという作業は、思い出すということを意識的にやることなのである

こちらでの8年の生活の中で体得したことの一つが、このことであった

こちらに来る前には想像もしていなかった収穫である
 
このことから「哲学とは言葉の意味を体得することである」というフォルミュールを提出しておきたい


 この視点から今の世の中を見ると、reflectivenessが著しく減弱しているように映る

それは世の中が変わったためなのか、あるいは見る者の視点が変わっただけなのか

それは分からない

ただ、一見豊かさを増しているかに見える物理的な部分を見ても貧しい世界に見えるようになった

そこにreflectivenessの表出が見られないからなのか

それも分からない

いずれにせよ、豊かさとreflectivenessの間には深い関係がありそうだ



ところで、ヌアラさんについてのドキュメンタリー映画"Nuala"が2011年に発表されている

トレーラーを以下に






mercredi 9 septembre 2015

長く続いたジレンマ



こちらに来た当初から、一つのジレンマがあった

こちらの生活が本当のものなのか、仮のものなのか

これを本当の生活にするのか、仮のものにするのかについての迷いであった

日本にいると仮定した自分が本物で、こちらにいる自分は仮のものだと捉えることができた

その場合、余暇のつもりで来ている旅行者のような感覚で、気楽にやればよいことになる

一方、こちらの生活を本当のものだと捉えた場合は、真剣さをもって生活しなければならなくなる

これは、最初の学生生活に似てくる

どれほど真剣にやっていたのかは分からない

しかし、それしか道はないという意味で、真剣さが要求されたということである


フランスでのジレンマが消えたように感じたのは、ここ1-2年のことである

どのような形であれ今の学生生活を終えた時には、専門家の予備軍ということになるのだろう

甚だ心許ないが、そう自らを捉えて動かなければならないような気がしている

これだけ長くやったのだから、そこからは逃げられないという感覚である


まさに今、長い瞑想生活にあった学生が社会に出ようとしている状態にも見える

これから動的生活に入るのか、これまで通り瞑想的な生活に重点を置くのか

それはまだわからない

 しかし、一つの大きな転換点が待っていることだけは確かである






mardi 8 septembre 2015

ハッチンズ著 『偉大なる会話』 のこと、再び



こちらに来て1年目に日本に帰った折、学生時代の書棚からこの本を見つけた


大学に入った年に手に入れたもので、よく読まれた跡が残っていた

自由学芸と訳されていたリベラル・アーツという響きに心が躍ったのだろう

それ以来、この本のことは忘れ去られていた

しかし、身の回りから消えたように見えたこの経験はどこかに残っていたのかもしれない

この本に再会した時、実に懐かしい感情が蘇ってきた

いつものように、今こうしているのはあの経験が関係しているかもしれないという考えも浮かんだ

いつの時代でも哲学を専門とする人はマイノリティである、という言葉には真理 がありそうだ

哲学にはどこかとっつき難さがあり、秘密結社のように映る集団にも違和感がある

そして何よりも、それがなくても不自由なく生きていけるからである

一方、哲学や文学を含む自由学芸に触れると言った場合はどうだろうか

それほどの抵抗感は持たないのではないだろうか

ただ、その対象が古典ということになれば、話は少し違ってくるかもしれない

古典の場合、話し言葉で書かれた現代人の本とは違 い、理解するための時間が必要になる

そのため、忙しい現代人が面倒だと感じても何の不思議もない


この本を読んだ時に覚えたもう一つの抵抗感がある

それは、どこか上の方から「これは読まなければ駄目ですよ」と諭されているように感じたからである

「必読書100 冊」などと銘打たれると、それだけで読む気が失せるところがあったからである

これはすべての人の理由になっているとは思えない

しかし、上に挙げた理由とともに何らかの影響を及ぼしているのではないだろうか
 
いずれにせよ、古典との対話を薦めるハッチンズ博士の主張が広がっているようには見えない


その道になぜわ たしが入ることになったのか

それは、科学から離れることになったことと関係があるだろう

その時、リベラル・アーツという言葉が蘇ってきたのである

それまで意識には上らなかった普遍に対する熱のようなものがふつふつと湧いてきたのである

それは、古典の中にしかわたしが求めるものはないという確信に変容していった

ひょっとすると、このようなことは生まれて初めてのことだったかもしれない

そこから、欲することを欲することになり、そうなると止まるところを知らなくなる

それは嬉しい大転回であった

ほぼ半世紀を隔てた因果関係が見えたと言うつもりはない

ただ、こういう繋がりが見えてくるのは、実に味わい深いものがあるということは言えそうである






dimanche 6 septembre 2015

これは slow thinker としての生活か



「私には、例えばハクスレーのような賢い人にいちじるしい、事物をすばやく把握する能力も機知もない。それで私は批評家としてはだめである。人の論文や著書を読むと、初めはたいてい敬服する。よほど考えた後でないと、その弱点がわかってこない。私には長い純抽象的思索をやってゆく力はいたって乏しい。それだから哲学や数学をやっても、とても成功はおぼつかなかったと思う」
「総決算して良い方の部に入るのは、注意を逃れやすいような事物に気がつき、それをこくめいに観察することにおいて、一般の人にまさっていると思う。また事実を観察蒐集するために勉強することは、ほとんど極度に達した。さらにずっと重要なのは、私の自然科学に対する愛好心が変わらず、しかも熱烈であったことである」

 こう書き残したのは、ダーウィンであった

これを読んだ時、懐かしく思い出したことがある

ニューヨークの研究所で恩師だったイギリス人EAB博士の言葉である

博士も自分のことを、頭の良い才気煥発なタイプではなく、slow thinker であると診断していた

そして、ダーウィンのような科学者を目指していると付け加えた

それ以来、どこかで slow thinker という生き方に興味を持った

その時まではこの逆を目指しているように感じていたが、その変更が儘ならなかったからである

残念ながら、この傾向は現代社会に溢れているのではないだろうか


そして、パリでの生活を振り返ってみると、それは slow thinker としての生活ではなかったのか

そんな思いが巡る

しかし、パリ生活がEAB博士の言葉に押されたという自覚はない

手元の記憶からも消えていた

 ただ、このような出来事がどこかに堆積していて、その全体がこの体を動かしたのかもしれない

過去と現在が繋がっているように感じる瞬間、いつものことだが頭の中を涼風が吹き抜ける




samedi 5 septembre 2015

青春を取り戻せ!



前回、ホームストレッチに入っていると書いた

そろそろ鞭を入れなければならない時だろう

しかし、何しろ駄馬

変に気合を入れると、おかしくならないとも限らない

ここは少し違った心理作戦が必要になりそうだ


ことここに至っては次のように叫び、気持ちを高ぶらせたいところだ

「青春を取り戻せ!」

いろいろなことを考えず、純な気持ちで向き合え、という程度のことである

弾力性を失った心に活を入れる鞭のようなものかもしれない

 効果ははなはだ疑わしいのだが ・・・