lundi 7 octobre 2013

ロスコフ3日目、充実の日が続く


今朝の朝食は、フライブルグで医学倫理を研究しているイタリア人クラウディアさん(下から2番目の写真)と同席

もともと哲学から入った方なので、いろいろと参考になる話を聞くことができた

ハンナ・アーレントハイデッガーなどを専門にしていたが、職を得る時に今のテーマに切り替えたという

フクシマの後に、ドイツではなぜあのような決断ができたのかについて意見を訊いてみた

彼女の答えは次のようなものであった

ドイツではハンス・ヨナスなどの哲学者が緑の党などの思想的背景にいた

そのため、党の支持とは別に、倫理的な思考が一般に拡がっていたのではないか

そのような思考をする人が多かったので、アンゲラは福島の後、すぐに決断できたのではないか

アンゲラは決断が遅いので有名だったので、その素早さに皆さん驚いたようだ

それから、ドイツには自然に対する見方に特有なものがある、とイタリア人の彼女は見ていた

西欧では優勢に見える自然を支配するというのではなく、自然と一体になるような思想があるという

それらがうまく噛み合ったのではないか、というのが彼女の見方であった


途中、ドイツの医学生が加わったので、医学教育について訊いてみた

マインツの医学部には、在学中に歴史、哲学、倫理で論文を提出するコースがあるという

医学を学びながら、医学を外から見る視点を身に付けさせようということだろう

4人に一人くらいがこのコースを取っているという

今回の会議は、彼らに発表の場を与えることも目的になっているようだ

論文提出前の学生さんの発表が目に付いた

このようなシステムは日本でも参考になるのではないだろうか


ホテルから出て歩き始めると、「おはようございます」というきれいな日本語が聞こえる

振り返ると初日に研究所で会った院生が車から顔を出している

今度は、研究所近くの会場まで送ってもらうことになった

ありがたいことである




今日のセッションは、ロスコフ海洋生物研究所の見学から始まった

職員と学生で300人くらいの規模で、歴史があるところのようである




講義中の教室だろうか

 

見学の後、予定はいつものようにびっしり詰まっていた

最後はラウンド・テーブル・ディスカッション

話をただ聴いていればよいのかと思っていた

しかし、どなたかの提案で、机がすでにラウンド・テーブルになっているので、全員が参加することになった

末席を穢している素人のわたしも、日頃から時間について感じていることについて話をさせていただいた

 時間はあらゆるところに関わっているので、実に大きなテーマになる

これからどのような方向に進むのか、実に興味深い


コーヒーブレイクでは、人生の時間について発表していたゲッティンゲンのマークさん(下の写真)と話をする

このテーマが今のわたしには一番しっくりくるテーマだからだ

人生後期の捉え方に変化があり、65歳から85歳までを第3期(old young)、85歳以上を第4期(new 'old age')と見ていた

如何に生きるのか、幸福な人生とは、という古くからある生き方の哲学が長い間忘れられていた

しかし、ここに来て復活してきているという

彼はまずたくさんあることがよいことなのかについて哲学的考察を加えていた

そこから、長く生きれば幸福なのか、よい老化とはどういうことなのかというところへ進んでいた

医学倫理においても時間からの考察が少ないという指摘もあった

興味深いテーマなので、関連の文献を教えていただいた

彼はしきりにわたしが羨ましいと言っていた

自分たちはこれから長きに亘って仕事をしなければならないということだろう

このような会では年齢に関係なく教えを乞うことができ、彼らも手軽に答えてくれるので非常にありがたい


会議も3日目に入り、ドイツ語やフランス語での引用が飛び出し、中にはドイツ語で暫く話す人もいる

そういう時は、ドイツの方が机を拳で叩いで注意を促す

ヨーロッパのこじんまりした会は、こんな感じなのだろうか


Dr. Mark Schweda(Göttingen)、Dr. Claudia Bozzaro(Freiburg)、Ms. Delphine Olivier(Paris)、Dr. Marcin Moskalewicz(Poznan)


今夜のディネのテーブルは、このメンバーだった

朝食とコーヒー・ブレイクをともにしたお二人の他、すでに一緒になっているパリの院生にポーランドのマルチンさん

ハンナ・アーレントの映画のことをクラウディアさんが出すと、話が大きく広がって行った

彼女は、アーレントハンス・ヨナスのアメリカでの関係は知らなかったという

わたしは、アイヒマンは単に官僚の仕事をしたまでではないかと言葉を発する

マークさんは、そんな簡単な問題ではなく、もっと注意深く見る必要があると言う

彼らは一つのイデオロギーの下に意識してやっていたと見ているからだ

これからやることは酷いことだが、それは崇高な目的のために乗り越えなければならないと考えていたというのだ

それを受けて、マルチンさんはヒムラーがポーランドでそのような演説をしていた記録が残っていると言っていた

この話は終わりそうになかった

このように議論する時間は久しぶりで、精神を活性化する嬉しいことであった


マルチンさんの話も興味を惹くものであった

彼は時間に関する形而上学的な本を書いたが、もうそのようなものは書きなくないという

思考の相・層を積み上げて、一つの建築物を作るようなところはよい

しかし、その建物の土台が脆弱で、しかも見る角度によってどうにでも解釈できるところがある

いつでも壊れそうに見えるものを作ることに抵抗を覚えていて、これからは実証的な仕事をしたいという

 その考えもよく分かる

自分が哲学から入っていたならば、おそらくそのような考えになっていても不思議ではない

ただ、実証的な領域から哲学に入って行った者としては、一度形而上学の世界を歩いてみたいという願望が強い



それから人生の時間も話題になった

わたしが「現在」に集中できるようになったのは仕事を辞めてからだという話をした後、大きな反響があった

東洋人は若く見えるのか、仕事を辞めるには少し早いが、一体いくつなのかと皆さんに詰め寄られた

今回のテーマは時間だが、人生は数字ではないといういつもの答えで押し通した

今日も充実した時が流れた






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