samedi 22 juin 2013

「医学の哲学」 国際セミナー終わる


今日は国際会議最終日だった

これまでの8時半開始が今日は9時になり、昼食の2時間を挟み午後5時までたっぷりとお話を聴いた

それ以外に、これまで言葉を交わすことのなかった偉い先生とも親しくお話ができ、有益であった

それは英語の環境であったからこそ可能だったとも言えるだろう

意識の上で、フランスの状況を抜け出ることができたからである


当初はこのような会があることも知らなかったが、故あって参加することになった

それは、最終日に予定されていたワークショップの co-chair に指名されたからである

テーマは 「医学における知識と実践」

どうしてわたしが、と思うテーマだったのでお断りしたが受け入れられず、参加を余儀なくされた


 新しい領域に入ってから初めての経験になるセッションは、ほぼ1時間半

多くのことを学ぶことができた

参加者はアメリカ、カナダ、イタリア、フランスからの方で、それぞれの特徴が表れていて興味深いものがあった

アメリカ大陸の方は皆さん声がよく通り、話すのが速い

深く留まるように考えるところはなく、流してどんどん先にいく

そして、情報量が多い

一方、フランスの若手は考えながら言葉を紡ぎ出しているのが手に取るようにわかるゆっくりとした話振りであった

知識を増やそうとするよりは、少ないテーマを掘り下げて考えるところがあるように感じた

イタリアの若手も小気味よい論理の展開で好感を持った


 身近でお話を聴いていると、われわれの思考様式とかけ離れているように見えてくる

 また、思考が行われているレベルも違うように感じる

それはおそらく、抽象的な概念を用いて論理的に話す訓練をされているかどうかにかかってくるのではないだろうか

同年代の日本人の中に、彼らと同じレベルで話ができる人が一体どれだけいるのだろうか

そんな疑問が頭を過った


個人的に感じたことは、かつてはマンハッタン訛りなどと言われた英語だが、今やその面影がなくなっていることだろうか

国籍不明のたどたどしい英語になりつつある

以前はアメリカ英語を維持するために使っていたエネルギーを考えることに向けていた結果だと考えたい

おそらく、正確な観察だろう

それがフランス語にも当て嵌まるのでこれから大変である




Aucun commentaire:

Enregistrer un commentaire