dimanche 24 mars 2013

宮城県美術館でインプロヴィゼーション、そして東京でも不思議な再会


帰国してすぐのEテレ日曜美術館

フランスに向かう前には必ず観ていた番組だが、今回は実に新鮮だった

31歳で戦死した石巻の海を彫った彫刻家高橋英吉(1911-1942) が取り上げられていた

仙台に寄った機会にその展覧会を観ることにして、宮城県美術館に向かった

まず外の景色を眺めてから中に入り、いつものように学割のお世話になる

展示されている英吉の作品は少ない

作品が散逸していることもあるのだろうが、やはり31歳での夭折が大きいのだろう

すでに仏を彫るだけの精神性が備わっており、素人目には一つの完成があるようにも見える

 静かな週末、じっくりと味わわせていただいた


別の会場では松本竣介(1912-1948)を発見

「郊外」と「画家の像」から滲み出ている何かに反応した

その何かは、どこか決然とした姿勢、さらに言えば反骨の精神とでも言えるものだったかもしれない

ウィキによれば、旧制中学に入る時に聴力を失い、それから絵に打ち込むことになった

そして、先の大戦開始の年には軍部の干渉に対する抗議をしている

その存在全体が絵に表れていたのだ

こちらも36歳という若さで亡くなっている

昨年夏、同じ会場で生誕100年の展覧会が開かれていた



会場を出て館内を歩いていると、遠くからクラシック音楽が聞こえてくる

その方向に向かうと、以前には気付かなかったカフェ・モーツァルト・パパゲーノというお店があった

そこで暫しの時間を使うことにした


カフェ・モーツアルトのオーナー、善積建郎氏


静かにしていようと思ったが、流れる音楽が10秒ほどで入れ替わることに気付き、ご主人に訊いてみた

そのCDは、雑誌「レコード芸術」の付録だという

差し出された懐かしい雑誌を学生時代以来手にする

そこから長いが気持ちの良い会話が始まり、人間の奥に蓄積されている記憶の一端に触れることになった

表面からは想像もできないものが詰まっているのが人間である

そこに至る入口は、やはり言葉を交わすことなのだろう

会話を振り返ってみるとこう表現できるだろうか

一人が話すと、その内容を受けてもう一方が繋がってはいるが別の次元に話をもっていく

大げさに言えば、ヤスパースの「真理は二人から始まる」 という言葉を思い出させるものであった

お話を伺いながら、それが可能になった訳が分かるようであった


善積氏はお若い時、ヨーロッパで時を過ごされている

 最初はウィーンに8か月滞在

その時は、カフェなどを回って新聞を売る仕事をされていたという

トルコやアラブ系の人たちと一緒に

貧しいけれども人生最良の時だったとのこと

それからドイツ語圏のスイスに移り、山を歩く生活を4年ほど続けられた

そして、日本に帰国されてから37年、一貫して今のお仕事をされている

美術館内にあるレストラン・フィガロの他、仙台市内にカフェ・モーツアルトアトリエの計4軒を経営中

海外に出ると、いろいろな国のカフェに触発されているようだ

最後まで学び続けることが大切という考えの持ち主とお見受けした


お店の名前の由来を訊いてみた

すると、ウィーンにあるシュテファン大聖堂に因んだとの答えが返ってきた

そこでモーツアルトの結婚式と葬式が執り行われたからだろう

若き日に刻まれた記憶がその後の仕事まで決めていたようだ


尽きることのない会話の最後に、モロッコ旅行を勧められた

モロッコには以前から興味を持っていたが、道路事情もよくなり、比較的安全でもあるという

いつになるのかわからないひと段落がついたところで考えてみるのも悪くないだろう



その夜も不思議な出会いが待っていた

もう7年前になる

夕食の席に隣り合わせた方からこう問い掛けられた

「タンパク質に精神があると思いますか?」

 科学に打ち込んではいたが、哲学への興味が増していた時期

 それ以前であればすぐに無視しただろうその問いが、実に面白い問として迫ってきたのだ

その問いにより、科学での時間が長くなる中で人間が問い得る問いが抑制されていたことに気付いたのである

深く考えることなく反射的に捨象された問いの中に、科学では処理しきれないものが眠っているのではないか

そんな期待感溢れる帰り道となったことを鮮明に思い出す


そして、昨夜

その方がお仲間と一緒に同じ店に顔を出されたのだ

不思議である

その夜、昨年の日本神経心理学会で話した内容の論文を持って出かけたのである

その中で7年前のエピソードに触れているので、再訪された折にお店の方に手渡してほしいと思ったからである

よもや、直接手渡しできるとは思ってもいなかった

少しだけお話を伺ったところ、生きているものすべてに魂・精神があるという考えをお持ちであった

いずれ、論文についての感想が届くことを願っている 



長い一日を振り返り、満開の桜と道に溢れる人の波を見ながら帰途に就く

一夜明けると、それまでの鼻閉、鼻水、くしゃみが悪化

そして、しょぼしょぼの兎の眼を久しぶりに見ることになった

ついに、こちらも全開状態だ

丁度、日本を出る前の状態に戻ったことになる

第5回のサイファイ・カフェSHEを前に、いやはや、といったところだ




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