lundi 30 avril 2012

今だからこそのある日の東京



 今朝は5時過ぎの起床。
少しずつ戻りつつある。
今日は日本で出会ったある光景を思い出した。

暑い東京の街中でのこと。
乙女二人が道に屈み込んで何かしている。
排水溝の蓋を開け、中を覗き込んでいる。
お一人の手には火ばさみのようなものが。
 その先を覗き込んでみると、真っ黒な水。




どうされたんですか?と声を掛ける。
すっかり諦め切ったように笑いながら、カギを落としたんです。
確かに大変そうだが、それほど大きくもない。
何とかなるのではないか。
そう思ったが、怪しげな親爺には関わってほしくなさそうな雰囲気がある。
頑張ってください、と言って立ち去った。

あたりを小一時間散策して戻ってみると、まだ何かやっている。
向こうの方が気付いたようで挨拶してきたので、その後の経過を聞いてみる。
あれから人を呼んで水を抜いてもらったが、見つからなかったと溜息交じりだ。
こちらもなす術がなく、Bonne chance ! と言って別れた。


仕事をしている時にこんな会話をするなど、想像もできない。
すべてが重要」 の今だからこその出会いだったのかもしれない。




dimanche 29 avril 2012

空に夏の香りが



昨日も早く就寝で、4時前に目覚める。
体に素直になれば、こうなるのだろう。

風の強い一日。
午前中は雨模様で、午後晴れてくれた。
空の青さに夏の香りが漂っている。

メールボックスには面白そうななコロックの案内が入っていた。
昔であればどんどん出て行ったが、今はそう思っても踏み止まることが多くなっている。
今回はどうなるのだろうか。

午後から考えをまとめるためカフェへ。
顔見知りのアパルトマンの住人と道で会い、軽い挨拶を交わす。
こんな時、パリに戻ってきたと感じる。
今日のカフェでは大枠が見えてきた。




samedi 28 avril 2012

なぜ時差ボケがあるのか



まだ時差ボケなのか。
昨日は少し早めに就寝。
今朝はある言葉とともに目覚める。
外はまだ暗い。


その言葉を並べると、次回の 「科学から人間を考える」 試みのテーマになりそうだ。
今回も一瞬の決断になるのか。
こんなに早く、しかも再び一回では扱いきれないほどの大きな問題になるのだろうか。


その問題に切りをつけ、まだ暗いながら鳥の鳴き声が聞こえ始めたバルコンに出る。
すると、今年は休もうと思っていた学会ニューズレターのアイディアが浮かんでくる。
部屋に戻ると一気にまとめることができた。
バルコンの驚異的な効果である。
編集長がどう判断されるのかはわからないが、休み明けに出してみることにした。
またか、という声が聞こえてきそうなのだが、、、


それにしても、環境が変わる前後には何か予想もしないようなことが起こる。
時差ボケの存在理由がそこにあるのか。
このように本業に向かうことができればよいのだが、なかなかそうはいかない。
どちらが本業かわからなくなる日々が続いている。
あるいは、「すべてが重要」 がすっかり身に付いてしまったのか。




vendredi 27 avril 2012

リセットのような清新な空気が



昨日、今日とパリは曇り、時々小雨模様で肌寒い。

少しずつパリ時間に戻りつつある。

今回の旅も出発前のことが思い出せないくらい、多くのものを齎してくれた。

 今、それまで動いていたモーターのメーターがゼロに戻ったような感じである。

 再出発という印象で、清新な空気が漂っている。

この状態、いつまで続くのだろうか。



jeudi 26 avril 2012

走っている時と止まった時に見えるもの



一夜明け、これまでお世話になったパソコンを見直す。カバーに凸凹があり、相当に酷い。このパソコンはわたしの頭を守ってくれたことがあり、凸凹はその時の痕だ。


その恩も忘れ、最後の方は叩きつけるようにカバーを閉めていたことを思い出す。これでは悲痛な声を上げない方が不思議だ。使っている時にはこの傷が目に入らなくなるのだ。

同じことを今回の日本で経験した。それは数年間に亘って履き続けた我が靴。気に入っていたのか、毎日休むこともなくお世話になった。パリでは気付かなかったが、この靴を日本でじっくり見直すと相当に酷いのだ。これも日本で同じ型を手に入れることにした。観察する側の中身の違いが見え方を決めている。その昔、日本の我が机の酷い状態に気付いた時にも感じたことがある。


これらの経験は、走り続けている時と立ち止まって見る時とでは、同じものが違って見えることを教えてくれる。これを内面の状態の観察に当て嵌めると、どうなるだろうか。今回の日本で例外なく強調した、自らを振り返る静止した時間、省察や瞑想の時間が大切になることに繋がるだろう。それは、この場では何度か触れている動的時間の後に静的な時間が必要になるというわれわれの祖先が教える真理そのものでもある。さらに、その営みは個人レベルだけではなく、社会においても当て嵌まるものでもあるだろう。今朝はそんな考えとともに目覚めた。



mercredi 25 avril 2012

充実の日本、久しぶりのパリ



今夜、無事にパリに戻ってきた。今回の日本滞在は3つの異なることをやるということで、最後まで準備に追われていた。そのため他のことをする余裕がないほど充実していた。このようなことは、これまでにはなかったのではないだろうか。

今回も多くの方にお会いできた。「科学から人間を考える」 試みがあり、徳島大学、大阪大学では現場からのいろいろな声を聞くことができた。そこから考えるべき問題がいくつか見えてきたように感じている。このような問題は接触が起こるまでわからない。これからも厭わずに現場に出ていきたいものである。




帰りの便はおそらく初めてになるオーストリア航空だった。
写真で伝わっているかどうか。
機内に入ってすぐ、配色の新鮮さに気付く。
気持ちよく、時間を過ごした。

久しぶりのパリは雨上がりのようで、涼しい夕暮れであった。
東京の暑さが遠く感じられる。



mardi 24 avril 2012

横浜・野毛の 「ちぐさ」 での時間

 

昨夜、大阪から東京に戻る。
東京は小雨が降っていた。

今日は調子がおかしくなってきたカメラをどうするのかを決めるため街に出る。
レンズの問題で修理代が高くなりそうだという。
パソコン同様、粗雑に扱った報いだろう。
仕方なく、また丁度日本にいる機会なので買い替えることにした。
パソコンと言い、カメラと言い、何という絶妙のタイミングで壊れてくれるのだろうか。

 電車を待っている時、きらきらと揺らめく素晴らしい光景に出合う。
今日の写真だ。
向こうから寄って来てくれているという印象で、嬉しくなる。



ジャズ喫茶 ちぐさ
(横浜市中区野毛町2-94)

午後の予定は、もう40年ほど前にお会いした方とのランデブー.。
科学から人間を考える」 試みのポスターを掲載していただいたアテネ・フランセにご挨拶してから横浜へ。
 横浜では話題になった3月11日に復活した老舗に案内していただけるとのことで。

桜木町を降り、野毛の街をしばし散策。
やや迂回して目的地に着いた。
ジャズ喫茶という音から膨らむイメージが懐かしい。

久しぶりのレコードの音。
やはり、これでなければ駄目なのか。
その昔は何を思って聴いていたのだろうか。

小さな店内を切り取ってみる。
どこをとっても絵になることに驚く。


 

お店ではお客さんのリクエストを軸に曲を流していた。
今日のアルバムは、わたしでも聴いたことのあるスタンダードなものがほとんど。

Oscar Peterson "Canadian Suite"

Ray Bryant "Alone at Montreux"

John Coltrane "My favorite things"

Bill Evans "Waltz for Debby"

Helen Merrill "helen merrill"


 






お客さんはその昔通っていたと思われる年代の方が多かった。
いつものように、その中にわたしは入っていない。
記憶の彼方にある時間とは全く違う落ち着いた時間となった。


お時間を割いていただいたMさんに感謝したい。





lundi 23 avril 2012

大阪大学で講演し、大阪医大で過去と戯れる



今日は午前中、大阪大学微生物病研究所で講演する。主な対象は大学院生だが、オープンな講演会であった。会場に詰めかけた方が予想以上に多く、追加の椅子を準備するため開始時間が遅れる。話し始めて会場を見回すと、昨年よりも多く、嬉しい驚きであった。

話は1時間ほどで終え、質疑に入る。出足は悪かったが、予定の30分に達する。終わった後にも何人かの方が話を聞くために来られた。個人的な質問としてよくあるのは、なぜ科学から哲学だったのか。そして、英米ではなく、なぜフランスだったのかだが、今回これになぜ日本でなかったのかが加わった。この説明には最近書いた 「医学のあゆみ」 2月11日号がよいのだが、紹介するのを忘れていた。

もう一つ印象に残った質問があった。それはオーギュスト・コント(Auguste Comte, 1798-1857)の3段階法則について。コントの唱える三段階とは、幼児期ともいえる虚構的な神学的段階、それから青年期の抽象的な形而上学的段階を経て、最終的に成熟期に当たる科学的な実証的段階に至るというもの。科学的な段階をその前段階のネガティブな状態に対してポジティブと称し、形而上学的な省察や直感から得られる知を拒否する実証主義 positivisme である。

質問は、わたしの立場はこの実証主義に前段階の形而上学的要素を加えているように見えるので、実証的段階の先に成熟期の上に当たる融合の段階とでも言うべきものがあるのではないか、あるいはそうわたしが考えているのではないか、という鋭いものであった。話を聞いていてそう理解していたとすれば、わたしの意図はよく伝わっている。その問いを聞きながら、実は神学的段階までも含めて、コントの言う3段階をひとつの平面に置くように意識しているのではないかと考えていた。

この質問に関連して、現代科学の状況を憂うるコメントが続いた。それは、実証主義が行き過ぎて、論文のディスカッション・セクションにおいてさえ、想像を含んだ議論を許さない窮屈な空気があり、中堅の研究者に見えたコメントの主は、この状態を変えるように働きかけてほしいというニュアンスのことまで言われた。現状に息苦しさを感じているのである。

現代科学はアングロ・サクソンのどこかから出される「世界基準」に従う形で行われている(と想像される)。日本は他の国と同じように、その基準に従い、そこをクリアすることで満足しているように見える。基準そのものに自分の考えを向け、議論するということをしない。哲学的ではないのである。ひょっとすると、例の最初から諦めて考えないという無意識の選択をしているのかもしれない。

現状を変えるひとつの方向性として、日本が考える科学としてあるべき内容、公表の様式などについて、アングロ・サクソンとは違う哲学の確立があるだろう。それは固定化されたものではなく、常に検証し、変容するダイナミックなものであることが求められる。そして、日本の科学のやり方を現実のものにするために、それぞれの学会が持っているジャーナルを新しい科学の発信基地にするのである。その実現を生存に追われている現場の科学者だけに委ねるのは相当に難しそうである。その成功は、このような営みを支えるエネルギーと意志がどれだけあるかにかかっている。コメントを聞きながら、そんな妄想が浮かんでいた。


 科学と哲学などというテーマにこれほど興味を示す人がいることは驚きである。
現代科学の中にどこか満たされないものを感じている証なのだろうか。
出された発言から見えてくるものは、それを否定できるものではない。

今の科学が完全な姿であるはずはない。
もしそうだとすれば、これからも検証し、改良し続けていかなければならないだろう。
その過程で、わたしの言う哲学的な視点が有効なものになると確認していた。
 
このような思索の機会を与えていただいたホストの菊谷仁氏に改めて感謝したい。





午後からは、2月の発見の検証に大阪医科大学歴史資料館に出かける。
その詳細は以下の記事にある。

 
わたしの持っている本に書かれてある志賀貴洋史という署名が、赤痢菌発見者の志賀潔博士(1871-1957) のものであるのか。資料館に入り、係の方に2階の資料室に案内していただく。そこに至るまでの雰囲気が実に素晴らしいのだ。写真でその雰囲気が出ているかどうかわからないが、清楚な佇まいと懐かしさがそこにある。伺うと、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880-1964)というアメリカ人建築家の作だという。日本人女性と結婚し、1961年には帰化している。






 


 


そして、目的の資料室に入ると、この額が現れた。持参した本と見比べる。係の方に見ていただいたが、専門ではないとのことで言を濁される。わたしには酷似して見えた。いずれどなたかに鑑定をしていただきたいものである。

わたしがこの建物を気に入っていることを知った係の方は、さらに案内を続けてくれた。ひとつは講堂。ただ、高いドーム状の天井はエアコンと蛍光灯が付けられた低い天井で隠されていた。係の方は、時代ですかね、とのことだったが、わたしはオリジナルの天井を見てみたいと思っていた。

 それから階段教室が現れた。
 我が学生時代を思い出させる実に懐かしい空間だ。
暫し教室内を歩き回り、過去を現在に引き戻しながら想像を羽ばたかせていた。






想像さえしていなかった空想の時間と空間が隠れている資料館であった。
突然の訪問にも拘らず、案内の労をとっていただいた係の方に感謝したい。


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jeudi 26 avril 2012

本日、大阪大学の講演会でお世話になった事務局の堀田様からメールが届いた。
いつも丁寧に対応していただいているが、今回も当日の様子が書かれてあった。

今回の会場は定員が50名。
そこに立ち見を入れて90名以上の方が聴講され、内2/3が学生だったという。
多くの方が参加されているとは思っていたが、これ程だとは思わなかった。
しかも、若い方が多かったことは何かを物語っているのかもしれない。

ホストの菊谷氏からは、もし次回があればディスカッションの時間を増やしたいとのこと。
そうなれば、パリの哲学セミナーの雰囲気にも近くなる.。
哲学の再興は、科学の現場からになるのかもしれない。
いずれにせよ、多くのことを考えさせてくれる時間であった。



samedi 21 avril 2012

梅田で 今、誰と



徳島から大阪に戻る。
パスで3時間余りの旅だった。
初めての経路である。

夜、今はS社を退職され悠々自適の?先輩S氏と会食。
大阪を訪れる度に声を掛けていただいている。
今回も少し前に連絡が入った。
 
梅田で食事をした後、昔懐かしいバーに案内される。
  日本社会の特質からお仕事のことまで、貴重なお話を伺った。
バーでは久しぶりのマルティニを味わいながら。

今回初めて知ったのだが、福祉の仕事にも関わっていたとのこと。
 そもそもS社がそのような事業をしていることさえ知らなかった。
日本の福祉の現場の感触をお持ちなので、将来さらに詳しいお話を伺ってみたい。

途中、不思議な経験をした。
S氏の顔が全く別人に見えてきたのだ。
わたしは今、誰と話しているのかわからなくなるという感覚である。
実に不思議な時間で、ついにその時が来たのかとも一瞬思った。
疲れと久しぶりのマルティニのせいだったのか。
 幸い、店を出る時には元に戻っていた。




vendredi 20 avril 2012

徳島の一日で考えたこと



朝9時の便で徳島に飛ぶ。午後1時から徳島大学医学部で科学・医学における哲学についてお話をするためである。主な対象は大学に入って2年目の学生で、「医学概論」 としての講義だが、学生以外の方にもオープンな講演会の形を採るとのことであった。

「医学概論」 の枠で講義を、というお話を受けた時、すぐに思い出したのが学生時代のことである。大阪大学の澤瀉久敬氏(1904-1995)が 「医学概論」 という学問を進めていることは知っていたが、広く理解されるところまで行っておらず、専門家などいなかったのではないかと思う。事実、講義は年配の教授が受け持っていたように記憶しているが、どんな内容だったのか全く覚えていない。おそらく、医学の哲学とは似て非なるものではなかったかと想像している。その講義をこの自分がする時が来るなどと一体誰が想像しただろうか。数字だけを見ると年配の教授を凌いでいるが、人生は数字ではない。

今回、学生時代の本棚から澤瀉氏の 「医学概論 第一部科学について」 (誠信書房、1965) を取り出し目を通してみた。半分くらいまで読んだ形跡はあるが、おそらく挫折したのだろう。「第二部 生命について」、「第三部 医学について」 まで読もうという気にはならなかったようだ。改めて第一部を読むと科学の哲学の考え方がわかりやすく語られていて、ここ数年の経験のためかよく理解できる内容であった。

学生に話すのは久しぶりで、どのような内容にするのか最後まで手探りの状態であったが、結局一般の方に話す内容と同じにして、哲学をどう見たらよいのかという点が伝わるように、個人的な経験を含めながら話すことにした。つまり、哲学というよりも哲学的態度はわれわれの日常にとって必要不可欠なものであり、楽しいものであることを伝えようとした。わたしの考えている哲学の姿を伝えることをベースに据えたのである。その意味では、「科学から人間を考える」 試みの考え方と共通する。

会場の講義室に入ると、若さがあたり一面に充満している。久しぶりの感覚だ。最初に驚いたことは、学生さんがカードを壁に押し付けていることだった。学務課の方に伺うと、欠席防止のために出欠を電子管理しているという。哲学してもよさそうなテーマであると感じた。

講義には2時間超の時間が用意されていた。1時間超の準備しかしていなかったので、急遽スライドを追加したり、個人的な経験を膨らませて、できるだけ丁寧に説明することで何とか責任を果たすことができた。 おそらく、多くの学生さんは心地よい?眠りに入っていたのではないかと想像しているが、中には目を輝かせている人もいた。講義後に届いたメールで、後半になるとどんどん面白くなり話に惹きこまれ、普段よく考えていないことに気付かされた人もいることがわかった。このような心の変化が起こっていることを表情から探ることは極めてむずかしい。今回、化学反応が起こっていた人がいることは、拙いながらも話し続けなければならないことを教えてくれる。また、若い時にこのような領域、このような考え方があることに触れておくと、将来何らかの意味を持つ時が来るかもしれない。教育とは、即効性がないものに対しても開かれていなければならないものだろう。

質疑応答で出た一人の学生の発言が気になった。それはある哲学者の 「人ははじめは規範とともに集団にいるが、哲学者になるためには理性を解き放ち、その集団を離れ、固有の存在にならなければならない」 という言葉に対するものであった。社会の規範に沿って生きなければ潰されるという日本社会の圧力を感じている彼は、独自の生き方、考え方を持ちたいのだが、そうすることにより自分の中で葛藤が生まれるのではないか、もしそうであるならば、そのような希望を最初からないものとして歩んだ方がよいのではないか、という迷いを抱えていたのだ。

日本には個人がないとか、人間の多様性が殺されているということが言われるが、そのことを一番感じ、悩んでいるのは若い世代なのかもしれない。若い時から自分の中を覗き込み、そこから聞こえる声に従って生きるようとする意欲を削いでしまう環境。その環境における防衛反応として現在の表現型が現れているとすれば、社会の閉塞感の根元にはこの問題があるようにも見える。多くの人間の精神の躍動が抑えられている社会から真の活力が生まれてくるはずはない。そろそろ真面目に考えてもよい一大テーマではないだろうか。



夕食会に参加された小迫英尊、笠井道之、高浜洋介の各氏
(小迫氏の高性能カメラにより撮影)


ところで、今回の 「科学から人間を考える」 試みのテーマは、この世界の出来事は前もって決められているのか、もしそうだとすれば人間に自由はあるのか、という問題だった。講義終了後、演壇に一人の教員が来られた。その方は偶然に講演会のポスターを見て、演者の名前がご自分の下の名前と同じであること(漢字は違う)に気付き、参加されたという。写真左の小迫英尊氏である。彼の口からお話の決定論に関係しているかもしれませんね、というような言葉が漏れていたように記憶している。ただ、この席でお話したことは写真中央の品のせいか、今はほとんど思い出せない。将来、何かの切っ掛けでその一部が蘇ることがあるかもしれない。その時、この時間が原因だったことがわかるだろう。



演奏会パンフレットを配布中の徳島大学交響楽団メンバー


翌朝、大阪に向かうべく徳島駅に向かった。 駅前で自らの楽団が5月に行う演奏会のパンフットを配布中の若者と出会う。しばらく話をしているうちに、写真左の学生が、ここで出会ったことが将来何かの意味を持つことがあるかもしれませんね、というようなことを言い出す。今週は徳島に来てまで決定論の世界が広がっている。不思議と驚きの一週間である。本当にそうなるかもしれないので、記録としてここに残しておくことにした。


このような時間を提供していただいたホストの高浜氏には改めて感謝したい。




jeudi 19 avril 2012

旧交を温める


渡辺昌俊氏 (日本パスツール協会


日本での仕事を辞めるまでの2年ほど、日本パスツール協会のお手伝いをしていたことがある。フランスのパスツール研究所から出されるプレスリリースの翻訳である。それからパスツール協会から出すことになったルイ・パスツールの伝記DVDの翻訳も苦しみながらやったこともある。

ところで、どういう経緯で協会とのお付き合いが始まったのか、すぐに思い出さない。こういうときに有効なのが外付けメモリーとしてのわがブログである。早速「ハンモック」に当たってみたところ、こちらの方から接触を図っていたことがわかり、驚く。経過はこんな具合だ。

2005年6月から7月にかけて、パリのパスツール研究所に滞在した。その時のホストがここで何度も取り上げているマルク・ダエロン博士であった。彼が何気ない会話の中で、日本にパスツールの支援組織ができたので関わってみてはどうかと勧めてきたのである。早速、研究所の関連部署に問い合わせを出したところ、日本の代表者から丁重なフランス語のメールが届いた。それが渡辺様で、日本に帰ってから面談することになった。経緯は下の記事にある。


それから渡辺様が私の働いていた研究所まで来られて、話し込むことになった。詳細は以下の記事にある。



今回はお忙しいスケジュールの中、わたしのために昼食の時間を割いていただいた。フランスの銀行でおそらく10年以上仕事をされた経験があり、77歳の今も大半がボランティアのお仕事を精力的にされている。その中心は日仏に関連した会をオーガナイズしたりそれを支えることで、パスツール協会だけではなく、いろいろなところにアンテナを張っている様子が伝わってきた。現在抱えているプロジェだけではなく、将来の夢を持っておられるあたりが若さの秘密になっていると見た。また、フランスが長く日仏文化比較の目をお持ちなので、参考になるお話がたくさん出ていた。わたしが「科学から人間を考える」試みのことをお知らせした時には、案内をフランス関係の雑誌にも出してみてはどうですか、というサジェスチョンをいただいた。アテネ・フランセまでは考えたが、その先には考えが及んでいなかったので新鮮であった。これからもお元気でご活躍いただきたいと思っている。
 



夜はボストン時代からのお付き合いになるK氏と夕食を共にした。もう30年以上のお付き合いになる。今回は、数年前にご夫妻でパリを訪問された時以来になるだろうか。今は若い人を支えるような仕事をしながらご自分の研究を進めているようであった。若い時代を知られていると、気楽に話ができるところがある。それはおそらくよいことなのだろう。



第2回 「科学から人間を考える」 試み、無事終わる


 初日懇親会に参加された方々


今週の火曜と水曜、ここでも案内をさせていただいた 「科学から人間を考える」 試みを開きました。お陰様で定員を上回る方が参加され、初日にはお断りせざるを得ないことになり、ご迷惑をおかけしました。これからどのようにしたらよいのかを考える材料がいくつか出てきたようです。

参加された大部分の方は東京周辺からでしたが、中には福島、さらには京都からの参加もあり、主催者としては驚くと同時にありがたい気持ちになりました。年齢層で見ると大学生から定年後の方まで多様で、わたし自身大いに勉強になりました。当初の期待に近い年齢構成になっていると思います。またお気遣いをしていただいた方もおられ、感激いたしました。今回初めて会終了後に交流の場を設けました。この時間も有効に機能していたのではないかと思います。参加された方々に改めて感謝いたします。このような営みはこれからも続けていきたいと思っています。ご理解とご批判をいただければ幸いです。

次回は9月の予定で、この場でも紹介することになると思います。
興味をお持ちの方の参加をお待ちしております。





二日目懇親会に参加された方々


今日の写真にはすべての方が写っておりません。
落ち着いてから専用サイトにフォトギャラリーを作る予定です。
 ご理解のほどよろしくお願いいたします。

 今日は、取り敢えずのお礼とご報告に代えさせていただきます。






samedi 14 avril 2012

吉本隆明・江藤淳 『文学と非文学の倫理』 を読む


 
先日亡くなった吉本隆明さん(1924-2012)と江藤淳さん(1932-1999)の対談集が目につく

吉本隆明・江藤淳 『文学と非文学の倫理』 (中央公論新社、2011)

吉本さんの第一印象を確かめてみることにした

最初の 「文学と思想」 と 「文学と思想の原点」 の途中まで来たところで中断

やはり、興味の対象や視点が少し違うようで、なかなか入ってこない

ただ、いくつか印象に残ることはあった


一般的には左右の論客と形容される二人がなぜ語り合うことになったのか

それは表層に現れる左右の対立を超えたところに感じるものがあったからなのだろう

江藤氏が 「柔らかい心」 と形容するもので、柔軟な思想、考え方

その人間が持つものから自然に出てくる考え方

平和のため、民主主義のために何かを、というような縛りから自由な態度

ある立場からものを言わなければならない状況に自分を置かないようにする意志

その態度を徹底することが大切で、好き嫌いや信頼を生む大きな要素だとお二人は考えているようだ

しかし、この態度を徹底することは可能だろうか

仕事をしている人はほとんど失格だろう

仕事の枠を超えて考えていないければ難しい

それは芸術家でも同じで、『ヒロシマ・ノート』、『厳粛な綱渡り』 の大江健三郎さんも批判の対象になっている


もう一つ、吉本さんはこんなことを言っている

何かの運動に加わる時、大衆として参加するのでなければ有効なものにならない

知識人、文学者、思想家、大学教授がその衣を脱がずに運動に参加しても、それ自体は政治的に無効である

同じようなことは、吉田健一さん (1912-1977) もどこかで言っていたように記憶している





jeudi 12 avril 2012

加賀乙彦著 『科学と宗教と死』 を読む


今回、初めて書店に入る
店頭に並んでいる本は立ち読みで読み終わりそうなものばかり
時間のない現代人はそのようなものでなければ手に取らないのだろうか
 
加賀乙彦著 『科学と宗教と死』 (集英社新書、2012) が目につく

タイトルの宗教を哲学に置き換えると私のテーマと重なるので手に入れる
この本も移動中に読み終える
自らの人生を振り返り、率直に語っている

先の大戦前後も今回の3・11でも国民は真実を知らされなかった
国民に嘘をつく国である、とまで言っている
アメリカについてもナチスのイギリス侵攻を非難したにもかかわらず、日本には原爆を落とした
その行為を正当だと感じているアメリカに対する驚きと不信感がある
そこに人種差別を見ているのかもしれない

ある死刑囚との付き合いから、簡単には捉え切れない人間の多面性について語っている
生まれながらではなく、キリスト教徒になることを自らが選択した過程も語られている
  心は表層にあるもので、その奥深くに魂があると著者は考えている
その上で、心の付き合いではなく、魂が響き合う付き合いでなければ意味がないのではないか
そこまでいかなければ満たされないのではないか
心を扱う心理学では解決せず、心の襞に入り込むものが必要になるのではないか
この本で著者が一番言いたかったことはそこではないかと考えていた

日本の文明開化では科学・技術は導入されたが、科学を支えている精神文化を取り込むところまでいかなかった
われわれは生活から精神性を排除して歩んできたように見える
仏教徒が20%、キリスト教徒は30%を占めるといわれる韓国の状況とは対照的だ
以前に科学とそれを支える精神性についてこの場でも触れたことがある


「もの・こと」の現象の背後にある目には見えないものの存在に気付くこと
これから起こるであろう問題が要求するのは、そこに行き着くのかもしれない
それが理解されていないと、同じことを繰り返すことになるだろう
時の流れに向き合った哲学を創り上げていく必要があると著者も言っている
一哲学徒としては、このメッセージも大切なものとして受け取った




mercredi 11 avril 2012

再び日本語で繋がることに




結局、新しいパソコンを手に入れることにした

これでやっと仕事ができるようになり、すっきりした

日本直前に故障したのも何かの思し召だったのかもしれない

日本語を打たず、外の世界とも隔離されている時間もなかなか捨てがたい

 過剰な繋がりから身を引き、静かに思いを致すことも今の世に必要ではないのか

そんな思いも浮かんでくる

ところで、今回の移動でパリと日本が完全に水平の関係になっていることを確認した

奥の書斎から戻ってきたという感覚で、辿り着いたという感激がない

もう少し間隔が長くないと不思議の国日本に目を見開くことにはならないだろう


ということで、この場もぼちぼち再開することにしたい





mercredi 4 avril 2012

ついにその日が

 


昨日は久しぶりに大学の近くへ足を延ばす
気になった本を探すためだった
しかし、それは見つからず、他のものをいくつか手に入れる
大学近くだったためか気が引き締まり、カフェでの読みは遅くまで続いた

一夜明けると大変なことが待っていた
季節を問わず一年中どこへでも連れ回し、労わりの心が欠けていたのだろうか
これまでカリカリ言っていた我がパソコンが遂に動きを止めてしまった
自動修復が可能かどうか試してみたが、つれない返事が現れるだけ

実は昨日、こんな日が来るとは思ってはいなかったのだが、直近に必要なファイルだけをコピーしておいた
どこか冗談のような軽い気持ちで
本気であれば、すべてをセーブしておいただろう
自分のところにだけは降りかからないと考える癖は、なかなか治らないのである
長い間、自分だけは死なないと考えていたのだから相当に重症だ
ただ、仕事をしていれば、音が出たところでちゃんとやっていただろう
昨日は大学近くに長くいたため、少しだけ現実に近くなったのではないか

それにしても、もしコピーしていなかったらと考えると、ぞっとする
今月の日本は間違いなくカタストロフになっただろう
 手元にはフランス語対応のものだけになったので、日本語の処理ができない
頭を抱えていたところ、以前に日本で使っていたものを持ってきたことを思い出し、出してみると動く
しかし、ネットへの接続がうまくいかない
今日のところは、日本語で書いたものをフランス語対応の方に移してアップすることにした

ということで、すべてが回復するまでお休みに致します




mardi 3 avril 2012

嗜好を育てられる



昨日の散策時、あることに気付く

こちらに来て新たな領域に入り、感覚器から入ってくるものはどんどん取り入れるようにしてきた

もちろん、科学、哲学、歴史という大きな枠はあるが、ほとんど取捨選択のフィルターをかけることなく

それは大学での課程に対応する形で行われていた


こちらに来る前、この領域のものを読んでみたが今ひとつピンとこなかった

面白いとは思えなかったのだ

ただ、その中に入れば興味が湧いてくるのではないかとは予想していた

実際、講義やセミナーを聴くうちに、実験科学の世界で縛りがかかっていた頭の中が徐々に緩んでいくのを感じていた

思い出すのは、最初に参加したセミナー

どこが問題なのか、なぜそのような話をしているのか

掴もうとしても掴めないもどかしさを感じていた

実は、日本からフランスへの移行期のことを思い出さないと、その後に起こっているであろう変化にも気付かない


こちらに滞在して自分の時間を自由に使い、思索を深めてみたいというのが当初の希望だった

それがどのようなものになったのか、今となっては想像の域を出ない

日本にいる時は焦点を絞って読むということはなく、暇つぶしの読書となっていた

時間もなく、これと言って興味が湧く領域もなかったのでそれほど読むことにもならなかった

そのことを思い出すと、自分一人で一体どれだけのことができたのか、甚だ心許ない

 ひょっとすると、こちらの大学の学生になるという想定もしていなかった道は、実は最良のものだったかもしれない

その道を進むことで、フランス語で言うところの goût (関心の向かうところ、嗜好) を育てられたような気がしているからだ

 将来、別の領域に興味が移ることがあったとしても、同じようなやり方でやっていけばよいということもわかる

その意味では、嗜好の育て方についても知らない間に教えてもらっていたのかもしれない

 最初に期待していたものの姿が一つだけ見え始めている

そんな印象を持った春の日であった




lundi 2 avril 2012

第2回 「科学から人間を考える」 試みのお知らせ (3)



 レピュブリック広場のブロンズ像
右手にオリーブの小枝、左手に板を持っている
その板に"Droits de l'homme"(人権)の文字があることに初めて気付く
(2012年4月1日)



新学期のお知らせになります

この17日、18日の2日に亘って 「科学から人間を考える」 試みの第2回を開く予定です

今回は、「決定論と自由」をテーマにしました

詳細は、こちらをご覧いただければ幸いです


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この世界はある法則により決定されているのか、カオティックなのか

決定論の世界に人間の自由意志は存在するのか

もし存在しないとすれば、人間は責任を取ることができるのか

最近の科学の成果はこの問題にどのような示唆を与えるのだろうか

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科学と哲学が交差するこの問題の背景を紹介した後、1時間ほど自由討論をする予定です

また、更なる意見交換のための懇親会も準備しています

このテーマに興味をお持ちの方の参加をお待ちしております



dimanche 1 avril 2012

イヴ・エレウエさんに触れる

Je vous aime (1960)
 Yves Elléouët (1932-1975)



レンヌで出遭った画家にして詩人のイヴ・エレウエさん

フォントネー・スー・ボワ(Fontenay-sous-Bois)に生れ、サシェ(Saché)で亡くなった


日曜の朝

素晴らしいサイトにあったビデオをたっぷり味わう




Le Pantin de Lautréamont (1962)
 Yves Elléouët (1932-1975)



「パリの断章」 1年経過


早4月に入った

思い返せば、昨年の今頃この場所に定期的に書くようになったので、1年が経過したことになる

残念ながら前の「パリから観る」もこちらもじっくりと読み返す時間がない

少しは変化が出てきていると思いたいが、今は分からない

その辺りは読者の方がはっきり見えるのかもしれない

いつの日か、カプセルに入ったように見えるであろうこれらの場所を遠くから眺め直す時が来るのだろうか



快晴の朝のバルコン

乾燥した冷たい風を受けている時、その昔の風景が蘇ってきた

学生時代に訪れたアメリカ中西部の町ロチェスターにあるメイヨー・クリニック

遠く拡がる町に同じ乾燥した冷たい風が吹いていた

だだっ広い道では何かの記念日のパレードがあった

 どこまでも青い空を眺め、流れる音楽を聴きながら、無限の未来を思い描いていたのだろうか