mardi 29 novembre 2011

日本での精神状態



前回の滞在でも触れたが、パリから見えてくる日本の姿がネット情報、しかもマスメディアではなく、個人レベルのものに限られているためか、日本に戻ってマスメディアがごく自然に流れている空間に身を置くと、パリでの状態、すなわちネット情報だけで生きているのが異常にも見える。それを感じたのは、こちらの日常の中ではパリで触れていたネット情報には全く興味が向かわないからである。こちらの日常での自分の生活という具体的な要素がそこに加わっているためなのだろうか。どちらが真実に近いのかわからないという感覚である。自分にとっての健全な判断に至るには、おそらくその両方を考えに入れながら自らの頭で判断するしかないのかもしれない。

それと同時に感じているのは、こちらの現実の中にいるとパリでの意識の状態にまで深まりを見せないということである。日常の具体的な出来事を目にしてそれに対応している状態というのは、意識の極表層のところで反応しているにすぎないように見えるのだ。そのレベルより深く立ち入るには、日常的なものをある程度捨象する必要があるのではないか。そこまで入らなければ、自分の中にあるものにさえ気付かないで終わるのではないか。そんな想いとともに目覚める。







哲学から科学者への語りかけ



本日、免疫学会でのお話を終えた。免疫学と直接関係はしないが、どこかで繋がる可能性のある関連分野の一つとして2年前から哲学が選ばれている。他の学会について調べたことがないので印象にしか過ぎないが、このような時間があるということを聞いたことがない。その講師として適任かどうか甚だ疑わしいが、科学を支える土台に目をやろうとするオーガナイザーの炯眼に敬意を表したい。

今回も発表寸前までスライドに手を加えるという危い状態であったが、それ故これまでにないほど新鮮な気分で話を進めることができた。座長だった学会長でもある千葉大学の徳久先生が先週開いた「科学から人間を考える」試みについても触れられたので、わたしの方からも少しだけ紹介させていただいた。

今日のお話は科学と周辺領域(哲学、社会)とのあるべき関係について考えた後、生物を全体として理解するとはどういうことなのか、そのためにシステムをどのように解析するのが理想的なのかなどを中心に、主に歴史的な視点から振り返るというもので、大きなテーマである。その入口に立つ、とでも言うべき話になった。話の途中に笑い声が漏れるなど、日本の学会では珍しい雰囲気を感じ、最後まで気持ち良くお話をさせていただいた。

発表の後に来られた方との会話の中で、科学という営みの本質やその哲学と歴史を理解したいという渇望とその時間が取れないもどかしさ、日常に追われ目の前の事象に対応するだけの研究生活に対する疑問などが拡がっていることを感じた。また、わたしの話する姿を見て、随分楽しそうにやっているので肖りたいという思い掛けない感想を伝えてくれる若手や 「科学から人間を考える」 試みに参加したいという方までおられ、いつものように予想もしないものが飛び出す会になった。このような発表の機会が与えられたことに改めて感謝したい。




夜は、ゥン十年前に初めてお会いした方とのディネとなった。今回の滞在の「仕事」が終わったという感覚があり、久し振りにゆったりした気分でお話ができた。




samedi 26 novembre 2011

この夏からの試み、終わる



この夏に突然産声を上げた小さな試み 「科学から人間を考える」 の第1回が11月24日(木)、25日(金)の両日、賛同者の参加を得て無事に終了した。講師の話の後、想像を遥かに上回るディスカッションが続き、わたし自身は嬉しい気分であったが、会場となったカルフールの皆様にとっては迷惑千万なことであったと忸怩たる思いである。これからの試みには、もうひと工夫必要かもしれない。参加された皆様、また終了時間の大幅な延長にもかかわらず寛大な対応をしていただいたカルフールの皆様に感謝したい。

今回、会場の制約があり討論時間を充分に取ることができなかった。講師の発表時間と同じくらいかそれ以上の時間があると、余裕を持ってもう少し自由に意見交換ができるのではないか。また、会の終了後に参加者同士がざっくばらんにお話できる時間があった方がよいのではないか、などの声も耳に入ってきた。確かに、この世に偶然はなく、あるのは約束された出遭いだけだと言った詩人もいた。これからのやり方を考える上で参考にさせていただきたい。

これからの予定は今のところ以下のように考えています。

第2回: 2012年4月
第3回: 2012年9月
第4回: 2012年12月

詳細が決まり次第、この場でも紹介する予定です。
今後ともよろしくお願いいたします。



mercredi 23 novembre 2011

水平方向の移動へ



日本に戻ってきた。これまでよりも新鮮味が少ない。空ゆく状態から地上に降りたためだろうか。注意が外に向かうところから本来の内の状態に向きつつあるということかもしれない。前回の帰国からまだ数カ月なので、向こうの精神状態に沈み込むところまでいかなかったことが大きいのかもしれない。その割に、パリにいる時には日本が抽象的な存在にしか感じられないのは不思議である。

今日は書店巡り。古本屋と普通の本屋さんを気分に任せて歩き回る。いつのまにか飛行機の重量制限が20キロ1個から23キロ2個に緩和されたので、気分的には楽になった。いずれ、のために20冊ほど仕入れる。日本語の本を見ても最初に戻ってきた時の感激を味わうことはできなかった。ほとんど水平方向の移動になったようである。どちらにも同じように住んでいるという感覚だろうか。


明日、何度かこの場でもお知らせした 「科学から人間を考える」 という初めての試みを行う。どのようなことになるのか想像もできない。もう一日ある。



jeudi 17 novembre 2011

エミール・シオランさんプレイヤードへ


マンサードの屋根裏部屋のエミール・シオランさんEmil Cioran, 1911-1995)



シオランさんプレイヤード叢書に入ったというニュースを Le Point で読む

入ったのは以下の10作品



Précis de décomposition 「崩壊概論」

Syllogismes de l'amertume 「苦渋の三段論法」

La Tentation d'exister 「実存の誘惑」

Histoire et utopie 「歴史とユートピア」

La Chute dans le temps 「時間への失墜」

Le Mauvais Démiurge 「悪しき造物主」

De l'inconvénient d'être né 「生誕の災厄」

Écartèlement 「四つ裂きの刑」

Aveux et anathèmes 「告白と呪詛」

Exercices d'admiration 「オマージュの試み」


すべて日本語に訳されている

日本人との相性がよいのだろうか









lundi 14 novembre 2011

現世に向かう準備




本日も静かに過ごす。


締め切りが迫ると集中力が増すようだ。


少しずつ現世に向かう準備をしなければならない。


この場から離れることが多くなるかもしれない。









dimanche 13 novembre 2011

すべてが重要、それが一つの真理



静かに日本の準備をする。
何かを始めると終わりがないので、締切が唯一の目安になる。
本来やるべきことがある時に別のことを始めるのは賢明ではない。
やりながら考えていると、どちらが本来やるべきことなのかわからなくなる。
すべてが重要に見えてくるからだ。

しかし、本当に賢明でないのだろうか。
すべてが重要は。
どうもそうとは言えないように見えてくるこの頃である。
これはこの4年ほどの間に掴んだ真理の一つになるのではないか。
あくまでもわたしにとっての。


散策の途中、気持ちの良い雲を見た。
こういう曲線を見せてくれるのは久し振りだ。

夜、アリストテレスアレキサンダー大王を主人公にした小説を読み始める。
カナダの女流作家アナベル・リヨンさんの2009年の作品。
まだ導入部でどう展開するのかわからない。



samedi 12 novembre 2011

日本を特徴づけているもの、そしてモンテーニュの視点



先日のパリのアメリカ人との会話の記事で言い足りないところがあった。それは日本の文化を特徴づけているものは一体何なのか、という点を取り巻く問題についてである。今回のように、日本文化を根底から覆す事態になりかねない、という表現を見る時、その対象は一体何のことを言っているのかについて考える必要があるのではないかと思ったのである。それを自分も知りたいと思ったのである。時間のある方はそれぞれに研究できるだろうが、ほとんどの方は忙しく動いていて考える余裕などないはずである。

このような重要な問題については人文科学や社会科学での成果を基に考えるという姿勢が必要になるのではないだろう。そのために科学があると言うと功利主義になりかねないが、そこから出てきたものを利用しない手はないだろう。研究者の側も、自らの営みやその分野の成果を開陳して議論の材料とするところが少ないのではないだろうか。広くフォローしている訳ではないので非科学的な印象でしかないが、これまでにもそのようなやり方をあまり見たことがない。

そんなことを考えたのは、自らが動いていて、しかもその中にいる場合と動きから隔離され、完全に受容体になり切っている時とでは見えてくることが違ってくると実感しているからである。こちらで受け入れるだけの状態にいると、以前よりものがよく (少なくとも違って) 見えているような錯覚に陥っているからである。

動きが始まってからの議論はそれぞれが立場を決めてからになりがちなので、視野狭窄に陥いる可能性がある。データではなく、感情に訴えることになる。そこで出番が回ってくるのが科学の側のはずなのだが、その影が薄いように見える。日本文化などという大きな問題については膨大な成果があるはずで、その一端でも披露されると目を開かされることになるのではないだろうか。権力に取り入ることが立派な学者への道と考える人が多いところでは、本当の科学精神も批判精神も育たないのかもしれない。

日本のどこかにモンテーニュのような方はいないのだろうか。
お話を聞いてみたい気分の土曜の朝である。




vendredi 11 novembre 2011

アーミスティスの日、来年の旅を想う



1世紀近くも前になる出来事を思い起こす日の今日。
静かに過ごす。
まわりからも音が出ていない。

なぜか来年の旅のことに空想が飛んでいた。
残念ながら、いずれも 「仕事」 に関連したもの。
ただ、初めての国があるのは嬉しい。




jeudi 10 novembre 2011

Jour de l'Armistice の前日は



今日は水道検査の日。配管の状態を調べるとのことで、作業をする方が下に降りていった。上と下で状態を確認し合うため、水道管をいろいろなリズムで叩くように指示される。幸い意志の疎通はできた。普段は刺激されない原始の感覚が訪れる。

午後からはビブリオテークで。気分がよくなったためか、その前にある本を探しにリブレーへ。目標に向かうことは珍しいことだ。しかし見つからず、帰りにも別のところに寄ってみた。残念ながら求めるものはなかったが、それがあるだろう場所に興味を惹く本が座っている。手に入れてネットで調べると、5-6年前の本だが入手不可能と書かれている。嬉しい出会いであった。


明日は Armistice de 1918 の日。
多くの犠牲を出した第一次大戦の休戦協定記念日でお休み。



mercredi 9 novembre 2011

パリのアメリカ人とのお話は日本へ



今日は午後から定期検診へ。待合室に後から入ってきたご婦人に先生の名前と予約時間を確認される。少し言葉を交わした後、彼女はこう聞いてきた。「あなたの第一言語はフランス語ですか、英語ですか」。中身は日本なのだが、外からはどう見えているのかわからないと気付くのはこうした質問を受ける時だ。訛りがあったのでフランス人ではないと思ったが、わたしに向かって第一言語をフランス語かと聞いてきたので、間違いなく外国人だとわかる。日本語ですと答えると、流暢な日本語で話し掛けてきた。お話を伺うと、3年半ほどご主人の仕事の関係で東京で過ごし、3.11の4カ月前にパリに来たという。運命を感じているカリフォルニア州サンディエゴ出身のアメリカ人である。フランス語はまだ慣れないので英語で話をしたかったようで、わたしにとっても幸いなことであった。

これまで住んでいた国が変貌するところをテレビで観るのは不思議な経験だったという。今はどういう状態ですかと聞かれたが、よくわからないので忘れていないことを願っていると答える。それからフランスの話になり、フランス人があまり親切でないこと (特に、日本の後なので)、それぞれが自由に動いていて規則を守らないように見えることなど、よい印象を持っていない。わたしが哲学をやっていることを知ると、アメリカとフランスの考え方の違いをどう見ているのか聞いてきたので、ここにこれまで書いてきたようなことを話すと納得した様子。そして、科学は意味の領域には入らないので、哲学が重要になる、哲学によって深みが出る、と付け加えていた。

こちらからは日本の印象を聞いてみた。非常によくしてもらったので大切な思い出になっているという。ただ、マニュアル社会のためか、考え方が型に嵌っていて臨機応変の対応ができないこと、そして視野が外に開いておらず、外の人に対する対処法を知らないのではないかとの印象を持っている。それは街で感じるだけではなく、東京の有数の病院のお医者さんからも感じたという。それはよい面と悪い面があるのだろうが、と付け加えていたが、、。

外から入って行くと、おそらくそう見えるのだろう。日本は大国から見ると本当に小さな島国である。外からその中をやりやすいように変えてみたいと思っても不思議ではない。今回のギリシャを数日間見ただけで、このような力が働くことが皮膚感覚でわかるようになる。しかも、彼らの考え方自体がダイナミックである。問題は、中にいるとその辺りの感触が掴めず、外の影響に鈍感になりがちだということだろう。




日本は今、TPPで大騒ぎのようである。詳しくフォローしている訳ではないので、これからは井戸端のお話になる。日本にはいつも何かが起きてから慌てるところがあり、最後はそれぞれに札を付けてそれを叫ぶだけに終わる。そこでは中身が本当はどういうものかを理解しようとする機運が最初から起こらず、したがって本当の議論も生れない。そして、どちらに落ち着いても嵐が過ぎ去ると忘れてしまい、凪が戻ってくる。

今回のTPPは日本の文化にも大きな影響を及ぼすので反対という意見を読んだ。もしそうだとすれば、深刻な状況である。ただ、この場合の日本の文化とは一体どんなことを言っているのだろうか。その中の何が最後まで譲れないところになるのだろうか。こういう重要な問題について、広い分野からの研究成果が発表され、それに基づいた議論はされていたのだろうか。その上でのコンセンサスのようなものはあるのだろうか。日本にとっての根源的な問題について、落ち着いた議論が日頃から進んでいるような成熟を見てみたいものである。それがなければ、次の嵐が来た時にも同じようなことになるだろう。




今日は診察時間が1時間も遅れ、少し話し込んでしまった。大学が終わった後のことを聞かれ、まだ決めていないと答えると、日本は外に出た人が帰り、中を変えなければならないのではないですか、というご意見だった。日本で暮らしたことのあるアメリカ人からはそう見えるのだろうか。問題は何を変え、何を守るのかという大きなことになる。




mardi 8 novembre 2011

ダライ・ラマ、あるいは正直さと欺瞞


緒形 拳 (1937-2008)


日本で開かれたダライ・ラマの会見(自由報道協会主催)を見た。まず気付いたのは、自分の周りにあるものに興味を示し、思いの向くまま振る舞っていたことだ。例えば、テーブルの花や通訳の方のネーム・プレートを手にとり触れてみたり、通訳が話している時に横の人と話してみたり。その場の常識、あるいは社会の決まりのようなものから自由なところがあり、人によっては別の感想を持つことになりかねない態度をとっていた。しかし、パリの庵から見ると、人間が生き生きとして外に開いており、そこでは生命の活力のようなものが激しく動いているようであった。むしろ会場の人たちの方が何かにがんじがらめに縛られているようで、少し可哀そうに見えたのは意外だった。

ダライ・ラマはこの会見で二つの目標を掲げていた。ひとつは、人間が本来持っているはずの他者に対する共感や同情という感情を取り戻すこと。二つ目は、異なる宗教間の調和により世界の平和を目指すこと。宗教家としては当然だろうが、道徳心や倫理の大切さを強調している。そして、こう指摘していた。
この現実が実はどのような姿をしているのかを正確に掴もうとすることが不可欠である。それがなければ、人は先に進むための判断ができない。政治、経済などの領域では、政府が正確な情報を開示することが必須になる。正確な情報さえ出せば、人は正しく判断できる。しかし、それが行われていないことが多い。
その上で、情報が出ない時こそメディアの出番だ、と会場の記者を叱咤激励していた。チベットの現状について二つの見方があるが、どう思うかとの質問に対して、まずその中に入り、自分で調査するように、と答えていた。調査の結果を基に自分で判断せよ、話はそれからだ、という至極当然の答えなのだが、それが実践されていないのだろう。


現在の問題として、事に関わる人から正直さが失われ、欺瞞が蔓延していることを指摘していた。庵から見える日本もその例外ではなく、欺瞞の空気が充満しているかに見える。今年に入ってからの状況は、その程度が想像を超えるところまできているのではないだろうか。情報を基に議論するということをしない上、出てくる情報も正確さに欠けるという状況が続いているところを見せられると、これが常態だったと疑われても仕方がない。実はこのことが日本社会や日本人から溌剌さを奪っている一つの要因になっているのではないだろうか。

お話を聞きながら、「こと」 を難しくしないで原理に基づいて単純に考えている姿に、ある種の感動を覚えていた。この世界と人間についての知に思いを致すことがなくなっていること。それが今の問題の根にあるというわたしの感触と共通する認識があることも確認していた。これから問題になるのは、そこを如何に変えていくのかというところに絞られてくるだろう。世界や人間についての根源的な知に辿り着くには、それぞれの専門の知に閉じ籠るのではなく、そこを出て、人間が全体で感応する知がベースになければならないだろう。専門と人間との間を行き来することの大切さを具体的に伝えることが、即効性はないだろうが、最も効果のあるやり方ではないかと考えるようになっている。


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冒頭の写真、こんなところに緒形拳さんが!と驚き、カメラに収めたもの。実はフランスのジャーナリスト、ギー・カルリエさん(Guy Carlier, 1949- )とのこと。国を超えて似た者同士がいることには以前から気付いていたが、その一例になる。お見通しではなかった方のために、情報の正確さとそれを支える正直な心について語った後には明かさないわけにはいかなかった。



lundi 7 novembre 2011

新たに過去人を発見



今日は午後からビブリオテークへ。今月末に日本である学会の準備する。まだ時間がかかりそうだ。今日は一つだけ収穫があった。資料を読む中、興味深い過去人をお一人発見。これが大発見なのか小なのかは、その中に入ってみないとわからない。今のプロジェと直接は繋がらない個人レベルのものなので、わかる日がいつになるのか予想もできない。ただ、仕事に生きている時であれば、さーっと過ぎていくのだろうが、今は所謂プロジェと個人に触れるものとの境界がなくなりつつあるので、すべてが引っ掛かるのだ。ひょっとするとすぐにでもその時が来るかもしれない。




dimanche 6 novembre 2011

中身より入れ物か



前ブログ 「パリから観る」 をこのブログでも使っている Dynamic Views のスタイルに変えるプランについて以前に触れた。ぼちぼちと暇にまかせて新しいサイトに移している。



そして今日、国別アクセスを見て驚いた。何とアメリカが日本の2倍以上になっているのだ。これまでいくつものサイトを開いたが、アメリカからのアクセスが日本を上回ることは一度もなかった。新しいサイトは以前のものと全くの別物に変わっていることがわかる。確かに、私の眼にも4年間馴染んだところとは違って見える。人は見掛けに騙されるということだろうか。

この 「パリの断章」 についても、以前のモデルよりは多くの記事を読んでいただいている様子が伝わってくる。中に入りやすいスタイルになっているのだろう。中身には何の変化もないのに、入れ物のちょっとした違いでこんなに大きな変容を遂げるとは、本当に不思議である。因みにこのブログへのアメリカからのアクセスは日本の1/4、フランスからは日本の半分で、前ブログよりも米仏の割合が増えている。




samedi 5 novembre 2011

更地から始める、そして目に見えないものを理解できるのか



フランスのものを読むようになり、どうして何の役にも立たないようなことに (もちろん、それまで私が持っていた基準によれば、ということだが) 疑問を持つのか、しかもあらかじめ決められた目標に向かうのではなく、方角が見えないところから歩み始めるのか、という不思議を抱えることになった。それは同時に、人間の精神の中で繰り広げられている目には見えない 「もの」 を言葉にしようして人生を生きている人、あるいは人生を送り死んでいった人たちが山ほどいることを意味していた。

それではなぜ、それまで読んでいた英語の世界ではこのような疑問を感じなかったのだろうか。英語とフランス語文化の本質的な違いなのか、単に触れる順序だけの問題だったのか。英語に触れてから相当の時間が経つ。その結果、英語の世界が日常になり、英語が仕事の言葉、何かの役に立つ情報を得るための言葉になっていた可能性がある。一方のフランス語は生きるために必要な言葉ではなかった。しかも窓口になったのが哲学だったこともわたしの中での抵抗感を増幅する原因だったのかもしれない。

このようなズレを感じた背景には一体何があるのだろうか。ひとつには、更地に枠組みを作るところから始めるかに見える彼らの営みに、それまで感じたことのない自由な精神の動きを見たことが挙げられる。あらかじめ決められた目標に向かうのではなく、目標を決めるところから始める自由と困難。一つの問に一つの答えという直線的な頭の使い方ではなく、いろいろな点を繋ぎ合わせてまとまりを付けるという頭全体を使う運動の面白さ。同様の違いは、直線的な解を求める仏検と複雑系を解くようなDALFの問を実際に体験して感じることになった。




科学の発展を振り返ると、最初は目に見える物を記載したり、分類したりするところから始まる。それがある程度進むと目には見えない領域が現れる。そこでは哲学的な思考が重要だったはずである。飛び抜けた想像力を持つ一握りの天才が貢献した歴史がある。そして、その目に見えない物を見ようとする人間の意志が技術を生み、やがてそれが見えるようになるというのが科学の歴史の一側面ではないだろうか。言い換えれば、科学は物をこの目で見ようとする人間の試みのような気がしてくる。現代においても哲学が目には見えないことについて発言し、科学に貢献することができるのだろうか。それは並大抵のことではなさそうだ。

「科学とは、物を見ようとする試みである」
"La science, c'est un essai de voir des choses."


一方、科学との比較で文系の領域を眺めると、最後まで目には見えない 「もの」 (概念など) を言語化することによりわかったような気分になるところがある。そこには言語の持つ限界があり、特に外から入ってきた者にとって、その理解には大変な困難が伴う。こちらに来て受けた講義で困ったのが、まさにこの点だったことは前ブログでも触れた。翻って、目に見えないものを本当に理解することができるのかという疑問が常に付き纏う。科学者はポンチ絵を頻繁に用いる。その絵を見ることにより、理解したような気になるのだ。これは文系の学問の理解についても当て嵌まるのではないだろうか。つまり、言語化された 「もの」 を自らの頭の中で視覚化できないと理解したと感じないのではないか、ということだ。未だ想像の域を出ないが、科学の領域から入ってきて数年の者にはそう見える。

「理解するとは、ものを視覚化することである」
"Comprendre, c'est visualiser des choses."



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今日のお話は前ブログの記事を合体、校正したものになる。




vendredi 4 novembre 2011

内なるモーター再び、あるいは永遠に繋がる



最近、「枠組み」 のお話を取り上げた。これに関連するのが 「内なるモーター」 だ。まだぼんやりしたイメージでしかないが、その存在の本質と矛盾せず、その存在と一体となり、その存在を動かすもの、とここでは言っておこう。これがなければ流れに身を任せるだけになる。存在の本質とは異なる方向にでも抵抗なく行ってしまう。それが嫌であれば、内なるモーターを意識して作らなければならない。その時に大きな分かれ道になるのが、内なるモーターが枠の中でしか働かないものなのか、枠から出て永遠に繋がるものなのかという点である。

前者の場合、枠がなくなればその本質的な存在は終わってしまう。一方、後者の場合には枠がなくなっても物理的な生がある限り動きつづけるだろう。その枠が広がり、どこかで絶対的なものとも繋がる深みに達すれば、そのモーターは最強のものになるだろう。換言すれば、枠の中でしか動かないものは真のモーターではないのかもしれない。

この存在を最大限生かすためには、枠があってはならないことになる。仕事のために生きるのでもない、趣味に生きるのでもない。生きるために生きるのだ。つまり、生きることを仕事にできるかどうかに掛っているような気がする。そのためには 「絶対」 に近いところを目指さざるを得ないだろう。最後までそこには辿り着かないからだ。

そのことに気付くには専門家を脱して哲学者にならなければならない。枠を超えるのを専門としているのが哲学者だからだ。生きるのを専門にするのも哲学者だったはずである。教育を考え直す場合、専門教育の前に一般教育を対象にしなければならない所以がそこにある。この認識が欠けているように感じるのは私だけだろうか。




昨日のこと、ギリシャで現世に戻ったのを機に日本のサイトにも立ち寄ってみた。そう言えば、昨日は文化の日で文化勲章授与式の日である。科学関係では柳田充弘先生が受賞者の中に入っていることを知る。領域が違うので深いおつきあいはなかったが、ほんの一瞬だけ接触があった。もう20年ほど前になるはずだが、イタリア北部のブレッサノーネ (Bressanone/Brixen) で開かれた会議でお話を伺うことがあった。その時の印象は普通の日本人と何かが違うというもので、わたしにとってはどこか心地よいものだった。その訳に思いを巡らせてみると、まず率直であること、そして日本人が設けがちな枠のようなものを感じなかったからではないかというところに辿り着く。あるいは、枠はあるのだろうが、それが大きな枠になっているとでも言えばよいのだろうか。その後にも言葉を交わす機会があったが、その印象は変わらなかった。今日のお話は期せずして枠つながりになった。先生には益々のご活躍を願うばかりである。



jeudi 3 novembre 2011

今朝もギリシャ問題



日本がTPP、原発ならば、こちらはギリシャになるのか。まだ厳しいディスカッションが続いているが、昨日よりはやや落ち着いてきているような印象がある。まだ最終的な文言は決まっていないようだが、ギリシャがユーロ圏に留まるかどうかの国民投票を12月4日することに同意したようだ。ギリシャ国内の政治状況も不安定で、与党は僅か2票上回っているだけ。明日にでもパパンドレウ首相の信任投票があり、その後に国民投票をするかどうかの投票があるという。不信任になれば政権が倒れ、直ちに選挙になる可能性がある。そうなればさらに先行きが見えなくなる。しかし、おそらく信任はされるだろうが、国民投票の方は読めないと見る人が多いようだ。

EUを牽引するメルケル首相とサルコジ大統領をメルコジと揶揄する表現があることを知る。今回、このお二人がギリシャに問答無用で要求を飲むように言えなかった (少なくとも形だけは) 背景には民主主義の問題があるようだ。民主主義の大陸で最終的に自らの運命を自分で決められないことになると禍根を残すということだろう。来月には金がなくなるというギリシャだが、金を受け取れるのは国民投票まで。ユーロ圏から離脱になった場合、どうなるのだろうか。イタリアも同じような状況にあるという。結局世界は繋がっている。古代ギリシャのみならず現代ギリシャの状況をもう少し追う必要がありそうだ。



mercredi 2 novembre 2011

朝のラジオはギリシャ問題



妙に冷静に目覚めた今朝。いつものラジオ・クラシックをつけると、やや高い調子のディスカッションが進行中。ギリシャは一体何を考えているのか、などという声が聞こえる。ギリシャ危機という言葉は聞いていたが、普段から全く興味のない経済問題。その内容を知ろうとするところまでいかなかった。だが、今朝の雰囲気は少し違うので何かが起こったことを察知。ル・モンドとニューヨークタイムズで当たってみることにした。

ヘッドラインを見ると深刻な状況のようだが、経済のメカニズムが頭にないため理解できない。極めてお寒いが、大雑把な印象を言うとこんなところだろうか。ギリシャの経済、ひいてはユーロ圏の経済を維持するために、ギリシャの負債を半分無しにしてあげますよ、とドイツやフランスなどの北の国が言ったばかりなのに、ギリシャのパパンドレウ首相がその方針を受け入れるかどうか国民投票にかけると発表したという。不意をつかれたドイツやフランスは国民投票にすると否決され、ユーロ圏の崩壊にも繋がる可能性があるので大慌て。両首脳ともどんなことがあってもギリシャに受け入れさせると言っている。

この背景は複雑でわかり難いが、それ以上にパパンドレウ首相の本心も掴み切れないようだ。一つの見方として、パパンドレウ首相の政治基盤が弱いところから(与党の中が割れていたり、国民生活の悪化など)、自分の生き残りを賭けて大博打を打ったというのがあるようだ。それから自国の政策は北の国に決められ、それを受け入れるだけで自分たちでは何も決められないという主権国家としての体をなしていないことからくる不満も指摘されている。この状況、どこかの国と似ていなくもない。ユーロがおかしくなるとすぐにでも身に降りかかってきそうな問題なのだが、残念ながらこれ以上追跡する意欲が湧いてこなかった。どうも現世向きにはできていないようだ。



mardi 1 novembre 2011

「科学から人間を考える」 試みのお知らせ (4)


Entracte
Marco Del Ré
(né à Rome en 1950)


本日は万聖節 Toussaint のお休み。いよいよ11月に入った。知らぬ間に時だけが経つ今年である。フリードリヒ・チェルハさん1926- )ではないが、未だにカオスの中にいる。チェルハさんのように、その中から何かが姿を現してくれるだろうか。

ところで、こちらは突然姿を現してくれた 「科学から人間を考える」 試みを今月24日 (木)、25日(金) に開くことになっている。広く話をすることは初めてに近いので、どんなことになるのか予想もできない。これまでに話をした経験では、その場で自分自身が驚く 「こと」 や 「流れ」 がないと燃えないところがある。完璧に近い準備をして、恰もずっと前から知っていたかのように話すことには全く魅力を感じない。話しながら本人が初めて何かを学ぶというような、出来たてを前にぶっつけ本番で話す感覚が気に入っている。そのため、話を聞いている方の反応を想像するところまでいかないという大きな問題がいつも残るのだ。今回はどのようなことになるだろうか。




この会は体系的なメニューがあるコースのようなものではなく、講師の私的なプリズムを通して見た世界を提示しながら進むというスタイルになるだろう。細々とした事実を勉強するのではなく、そこで提示されたことをもとに自分自身に戻って考えるというような流れができ、それがさらに反射して返ってくることになればその空間に何かが充ちてくるような気がしている。わたし自身は、話す前と話し終えた時で何かが変わっていることを願っている。参加された方も、会終了後にそれぞれの中に違いを感じられるとすれば、会を開いた意味があったと考えたい。そして、このような会を繰り返していく中から大きな絵が現れることになれば素晴らしいとも考えている。

そのためには最初の話が重要になるのは言うまでもない。まだ3週間の余裕がある。今回も最後の最後まで準備することになるだろう。興味をお持ちの方には気軽に参加していただき、忌憚のないご意見をいただければ幸いである。


よろしくお願いいたします。