lundi 26 décembre 2011

A Dangerous Method を観る、あるいはカール・ユングという人生



夜の散策中、タイトルに惹かれてシネマの中に入る。

"A Dangerous Method"

案内を読んでみると、カール・ユングに纏わるお話だ。
フロイトも出てくることがわかり、観ることにした。
先月東京で開いた会でユングの言葉について触れていたからでもある。

この世に偶然はない。
これはこの場の底を流れるアイディアになっている。
この映画でユングも同じ考えの持ち主だったことを知り、驚く。
この世の出来事には何かの意味があると考える傾向があったのだ。

ユングとフロイトが決別したことは知っていた。
精神分析の分野は 「いずれ」 のリストの相当先にしかない。
その背景について調べるところまでは行っていなかった。
ただ、この映画で両者の考え方の違いが少しだけ見えたような気がした。

フロイトはユングを精神分析という自らの領域の後継に、と考えていた。
フロイトは開拓しつつあった領域を科学的批判に耐え得るものにしようとしていた。
彼の周りには多くの批判者がいたのだ。

一方のユングはフロイトが科学的として囲い込んだ領域を超えようとする。
この世に偶然はなく、すべてに意味があると考えるような人間である。
テレパシー、神秘主義、シャーマニズムなどにも興味を示す。

患者に対する態度でも二人は意見を異にしていた。
フロイトは患者のあるがままを観察し、分析するところで止めようとする。
ユングは患者の持てるものを十全に発揮できるようにしたいと考えていた。
患者への踏み込みがより強いと言えるのだろうか。
両者の決別は必然だったのかもしれない。

今のわたしから見ると、どちらが正しいのかわからない。
二人の立場が可能だということを理解できるようになっているからだ。
それぞれの進み方に意義を見出していると言ってもよいだろうか。
そんな曖昧なところにいる。
もう少しその中に入ってみなければ、それ以上のことは言えそうにない。






ところで、この映画のメイン・テーマはユングの女性関係である。
1903年、裕福な家庭の出のエンマ・ラウシェンバッハと結婚。
5人の子供を授かり、エンマが亡くなるまで夫婦関係は維持する。
彼の人生にはこの他にも女性が登場する。
今回の主人公である彼の患者だったザビーナ・シュピールライン
映画の最後で名前だけが出てくるトニ・ヴォルフ

ユングは一体どのような内的人生を歩んだのだろうか。
これまでになく興味が湧いている。

それとは別に、ヨーロッパのゆったりした空気とフロイトのシガー姿を味わっていた。
日本では公開されているのだろうか。


カール・グスタフ・ユング
(1875年7月26日 - 1961年6月6日)
Carl Gustav Jung





一夜明け、日本から戻ってすぐにこの映画のポスターを見ていたことを思い出す。

何の映画かも知らずに。

三週間ほど前のことだ。

ファイルを探すと出てきたので、本日の冒頭の写真として差し替えた。

実は、初め上の写真を冒頭に掲げていたが、どこかしっくりこないものを感じていた。

これですべてがストンと収まった。



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