jeudi 15 décembre 2011

フィンキールクロートさんによる 「フランス人とは」 再び


Alain Finkielkraut (né à Paris le 30 juin 1949)


先日手に取った Le Point は面白い記事に溢れていた。その中の一つは、アラン・フィンキールクロートさんによるフランス人とは?についてのインタビュー。こちらに来る前にも彼の対談を読んでいたことを思い出す (その時の彼の発言は下に再掲した)。この記事に目が入ったのは、4年前のことを覚えていたからではなく、つい最近話題にした日本を特徴づけているものについて考える際の参考になるのではないかと思ったからである。

日本を特徴づけているもの、そしてモンテーニュの視点 (2011-11-12)


エコール・ポリテクニークで教えているフィンキールクロートさんが今年取り上げたテーマは 「共に生きることの危機」 (la crise du vivre-ensemble) だという。インタビューの冒頭、今年のアーミスティスの日に(11月11日)サルコジ大統領が無名戦士の墓で行った演説について語っている。大統領は、亡くなる数ヶ月前の1914年9月に24歳の画家が母親に送った手紙を紹介し、このような手紙を書く人が一人もいなくなった時、フランスは存在しなくなると語った。その手紙には自分の国と自分を結び付けている絆から離れる恐怖が綴られているという。以下、彼の主張を聞いてみたい。

まだフランスがなくなったとは思わないが、その危険は現実的なものである。この演説はマスコミで大きく取り上げられることはなかった。このことは伝統や文化を大切に考えなくなっていることを示している。それだけではなく、高校教師の評価を外部の人ではなく、高校長に任せることにした国民教育相の方針転換はこの過程をさらに悪化させるものである。これによって知の伝承を中心に据えるべき教師が学校行事への参加やチームプレー、教室での管理などで評価されるようになるからである。フランスを愛するためには、フランスを知らなければならない。自国の歴史を伝えなければ、知の伝承が教育の中心に位置しなくなれば、フランスがなくなる時も近いだろう。

フランスとの繋がりを感じ、国のために死んでいった人がいるということは、われわれは自分一人でここににいるのではないことを思い出させてくれる。生まれ育ったこの世界、言語、景色、そしてわれわれが生きるために死んでいった人たちに負うところがある。

1925年にフランスを訪ねたドイツの文献学者は、文学がこれほど重要な役割を演じている国はない。国全体がその運命の表現として文学を考えている国はフランス以外にはないと言っている。これが今でも真実なのか、すでに文学以後の時代に入っているのかが問題になる。フランスは確かに文学の国だが、女性の国でもある。

(つづく)



フランス人であるとは (2007-03-16)
フランス人であるとは (II) (2007-03-17)

この中で、フィンキールクロートさんはこんなことを言っていた。
AF : ルナンは国家の精神を構成するものに次の二つがあると言っています。一つは過去の豊かな記憶の中にあり、もう一つは現在の市民の同意である。われわれは長い間、2つ目の点に拘ってきました。これからはルナンの定義を全体として考える時が来ているのではないでしょうか。それは改悛という過去との傲慢な決別によって危うくなっている死者との関係についてです。「現在」 は、痛恨という見せ掛けの下、過ちに満ちた 「過去」 に対する道徳的優位を保ち満足している。ルナンによれば、時間の流れの中で深く定着し歴史に形作られてきたフランス。力強く語り、アメリカ時間を生きる大統領候補は、「超現代的なフランス」 に二度も反対しなかった。1940年の敗戦は国家の崩壊によるものであるとマルク・ブロック (Marc Bloch, 1886–1944) は書いているが、今こそブロックを読み、フランスのアイデンティティをはっきりさせなければならない。しかし、それは要求水準の高いスローガンではあっても省の名前ではないだろう。

AF : 確かに、国家は現代民主主義の礎石です。この点に関して逆の意味でよい例がイラクです。アメリカは国家のものではなかった民主主義をひとつのものとして持ち込むことが可能だと考え、惨憺たる様相を呈しています。独裁制の蓋を取り払ったのですが、人々の政治的自立を希求する気持ちまでは解放していません。フランスでの状況は違います。国民共通の世界を形作っているのはもはや国家の記憶ではなく、テレビでしょう。

AF : これからのインテリの役割ですが、何かの旗印の下で考えるのではなく、出来合いの決まり文句や体制派の様々な言い古しの中に隠されている真実を明らかにすることが大切でしょう。そのためには二者択一の状況に対するノスタルジーから自らを解放し、世界の状況を受け入れる必要があります。ドレフュス支持か否かということでは問題は何も解決しません。



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