mardi 13 décembre 2011

自分なりの 「串刺し」



今日は暗いうちから雨音を味わう。
めずらしく午前中いっぱい降り続けた。
そして午後から晴れ上がってくれた。
これがパリの好きなところだ。





ただ落ちるだけの従順な雨音を聞きながら、バルコンでウィトゲンシュタインを手に取る。序でこんなことを言っている。

「私の努力が他の哲学者の努力とどの程度まで重なるものか、判定するつもりは私にない。さよう、私がここに書き記してきたことは、個々の点では何ら新しさを主張していない。それゆえ私は典拠も挙示していない。私の考えてきたことを私以前にすでに誰かが考えてきたか否か、これは私にとってどうでもよいことだからである」 (中平浩司訳)

最後の点が重要なのだろう。結局は自分で考え、自分で発見することが大切なのである。たとえそれが誰かによって考えられ言われていたとしても。その営みを繰り返しながら、自分なりの繋がりを生み出して行くしか方法はないのではないか。如何にして自分なりの 「串刺し」 を創ることができるのか。そのことを教えてくれる言葉のような気がしていた。




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