lundi 14 février 2011

歴史性がなければ歴史のなかに生きられない


今回の日本滞在中に立ち読みした本に阿部謹也著「自分のなかに歴史をよむ」がある。その中に、自分の過去を掘り起こし、それを大きな時間のなかに入れることの大切さに関連して次の引用があった。

「もしある作品が完全に現在のなかに埋没し、その時代にしか生まれないものであって、過去からのつながりも、過去との本質的な絆ももたないとしたら、その作品は未来に生きることはないだろう。現在にしか属さないすべての事物は現在とともに滅びるのである」 (ミハイル・バフチン


samedi 5 février 2011

カナダとアメリカの大きな違い


Dr. Ben Neel (Ontario Cancer Institute, Canada) &
Dr. David Virshup (Duke-NUS, Singapore)


今週、東京で開かれた国際会議に参加した。ボストンからトロントに移ったベン・ニールさんとの話の中にアメリカとカナダの違いが出てきて、昨年秋のカナダ訪問で感じたカナダとアメリカの微妙な違いのことが思い出された(例えば、本屋さんでのことだが、同じ本でも装丁、サブタイトルの違うものがあったり、スペリングにも違いがあるなど)。アメリカ合衆国の独立宣言に ”life, liberty and the pursuit of happiness” があることは知っていたが、カナダの憲法に “peace, order and good government” が入っていることを今回初めて知った。アメリカの目指すところが個人の外に向けて働きかけるという積極的な印象があるのに対して、カナダの場合はやや受動的な印象がある。人間がどこかで抑えられているか、無意識の内に抑えるようになっている可能性がある。これだけの違いがあれば、至るところに国民性が表れているはずである。街の印象が大人しく感じたのはその一つなのだろうか。日本の状況を見ると、アメリカよりはカナダに近いように見える。